「好き」の力信じて

「好き」の話をします。ラブライブ!、石原夏織、アニメ。

映画「天気の子」感想(ネタバレあり)

※ネタバレをします。視聴していない方は視聴後に読むことを推奨します。
※筆者が見た新海誠監督の過去作品は「言の葉の庭」「君の名は。」のみです。

先々週「天気の子」を見てきた。とても良かった。
君の名は。」はそこまで好きではなかった(むしろその後に見た「言の葉の庭」が良すぎて驚いた)から特に期待はしていなかったし、序盤はふ〜んと思って見ていたのだが、中盤以降はその世界観に引きこまれていった。

何が良かったんだろう?というのを自分の中で3点に分けて整理してみた。

1.ふたりの世界

陽菜と帆高はふたりの世界を見出した。

まず陽菜サイドから見ていこう。
多分、彼女にとってマクドナルドの仕事は価値がないもので、働く意味を見出せなかったのだろうと思う。*1

それでも働くのは凪を守らなければならない、自分が凪を守らなければならないという陽菜の「大人の顔」なのだろう。
陽菜がマクドナルドで働く姿、お金を求めて水商売に行く姿は仕事に生きるため以上の意味を考えられない大人への皮肉かもしれない。

しかし、そんな陽菜は帆高と出会うことで変化があった。
「晴れ女」という当初オカルトでしかなかった存在に価値・意味を見出し、信じたのは帆高だった。
自分の意味を見出せたからこそ、「晴れ女」という仕事が楽しかったのだと陽菜は語っていた。
その点、帆高にうさんくさいオカルト・非科学的なものに携わる仕事をやらせたのはとてもよくできているなと思う。

帆高からみたらどうだろうか。 帆高は当初、生活費を稼ぐための陽菜が生活費を稼ぐための手伝いをしたかっただけだった。
「晴れ女」という仕事をしたことで楽しさを見出したのは帆高も同じだった。

「明日の天気が晴れてほしいか?」と陽菜は消える前に問う。
当初正しく答えられなかったこの問に対して帆高が正しく答えることが出来た時、帆高にとって陽菜は特別だと分かった
もはや帆高にとって陽菜の存在理由は「晴れ女」だからじゃない。彼にとってただ必要、特別だからだ
帆高と陽菜だけの世界は、大多数の人間が存在する世界ではなく、二人だけの世界だ。

個人的にはラブコメディ*2において条件が外れる(無条件の愛になる)瞬間がとても好きで、「天気の子」はその点をよく描けているなと感じた。ラブコメディ的な面でも質が高い。

2.「晴れ女」の代償

しかし、「晴れ女」とが晴れを祈る行為は、世界を晴れにし、人を笑顔にし、帆高と出会えてといいことずくめ…という訳ではなかった。
「晴れ女」が無理やり世界を晴れにする行為は、世界のメカニズムに歪みをもたらしていた。
最初、帆高が船の上で落ちそうになるシーンや急に男子高校生の目の前で水が落ちてくるシーンの通り、晴れた分どこかで雨が降ってくる。
「晴れ女」が祈るという行為は、自分の周りを晴れさせることはできるが、その代償としてどこかで強い雨を降らせる。

そして、晴れ女には「運命」がある。晴れ女は天気を晴れにする代償として、世界を晴れにするために消える。

雨を止めるためには、晴れ女が生贄になるしかない。
それは雨が降るのと同じ「定め」である。世界の晴れか陽菜という一人の女かの二択を迫られていた。

帆高は陽菜を選んだ。理由は単純で、世界の晴れ"なんか"より陽菜が大事だから。 この世界のメカニズムを理解しているのは帆高だけである。*3
世界を背負いながら、その選択を責めるものは帆高しかいない。
実際に帆高が捕まって陽菜の行方を聞かれた時、「晴れ女」のメカニズムによって陽菜が消えたことを説明した。
しかし、「大人」そして力の象徴である警察はその説明には意にも介さず、むしろ精神鑑定が必要かもしれないと述べていた。

天気の子が面白いなと、この作品のとてもいいところだなと思ったところの一つがこの代償だった。
「晴れ女」の行った行為は決して世の中をよくすることではなかった。自分の目に見える周りだけだ。
マクロに見れば自分の見えない場所では歪みが生じ、必ずデメリットが生まれている。
世界の誰かが幸せになるということは世界の誰かが不幸になるかもしれないということ。
そんなリアリティを感じて面白いと思った。

3.因果と選択

エピローグ。

さて、帆高は陽菜を選び、世界を捨てた。本来晴れの生贄になるはずだった陽菜を救ってしまった。
その代償として、雨が降り注ぎ東京は沈み、変わってしまった。
東京が沈んだのは自分の選択が原因だと、東京が沈んだことと晴れ女には因果関係がある、帆高は思った。

…本当にそうなのだろうか?
そう疑問を呈するのは、須賀であった。
世界は最初から狂っていた。だからこうなるのも当たり前なのだ。そう彼は言った。
富美だって沈んだ故郷を見て数百年前の江戸を引き合いに出して、東京は元々は海だったのだと受け入れている。
「運め」とみなして理不尽な世界でも受け入れる。それがこの作品における「大人」のあり方だろう。
その意味において、3年後の世界を描いたエピローグの須賀は良くも悪くも「つまらない大人」になっていた。

確かに、因果関係の成立を判定するのはとても難しい。

昔話ならば悪役を倒して世界に平和が戻るけれど、現実世界はそんなにシンプルじゃないことを皆が身に沁みて知っている。
新海誠監督インタビューより


新海監督の言葉を借りるなら、結果の原因を一つに定められるほど世界はシンプルじゃないのだ。

例えば、地球温暖化
本当に二酸化炭素のせいと断言できるのだろうか?
地球温暖化には今は周期的に気温が上がっているだけで二酸化炭素は関係ないという意見もある。

そもそも温暖化しているのか?ということにすら疑問を抱くものもいる。
神社のおじいちゃんが話していたように、人間が気温を観測して最高/最低気温などの気象データを収集したのはわずか100年かそれくらい。地球の歴史は46億年あると言われているのに100年の観測史上最高/最低気温と言われても46億年の中でどうなのかは分からない。そんな短いサンプルでは普通も何も分からない。そもそも普通って何?

私は地球温暖化の話がしたかった訳ではなく、これだけメジャーで多くの人が信じているであろう地球温暖化という一般論ですら異を唱えるような意見があるのだ。
だから、沈んだ世界にも様々な見解があるのだろう。
世界が沈んだ要因は必ずしも帆高が「晴れ女」を救ってしまったからだとは限らないのだ。
「晴れ女」の存在はそもそも「世界」にとっては「オカルト」だから誰も信じてはいない。
そのことは先ほどの警察の話でもそうだ。「大人」に「晴れ女」の話しても責任能力のない人間*4だと思われるだけだ。

そんな話を聞くうちに、帆高は大人から否定された自分が見出した因果関係を信じきれなくなっていた。

因果をあっさり否定され、自分達の選択の意義を考え直す帆高。 もしかすると自分が「大人」にあらがってまで救った「晴れ女」には意味はないのかもしれない。
自分の選択と東京が沈んだことに因果関係はないのかもしれない。

3年間会ってない陽菜に対してなんて声をかけよう、「君のせいじゃない」と声をかけようかな。
迷いながら最寄り駅を降りて陽菜の家までの途中に出会ったのは天気に向かって祈る陽菜だった。

だから大丈夫だと。

…物語はここで終わっている。
陽菜がなぜ祈っていたのか?
習慣なのか?それとも、帆高が来るからなのか?何なのかは私には一瞬読み取れなかった。

だけど、祈る姿を見て帆高の迷いはなくなった。
少なくとも帆高は「大丈夫」と保証したいと思ったのだ。

取るに足らない 小さな僕の 有り余る今の 大きな夢は
君の「大丈夫」になりたい 「大丈夫になりたい」
君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての「大丈夫」になりたい
RADWINPS「大丈夫」

最後に流れるこの「大丈夫」の歌詞でいう「大丈夫」というのは君に対する肯定のことなのだと思う。

この肯定は他者から見たらとても醜く悲劇のヒロインぶっていてダサくて、青臭いし妄想でしかない無意味なのかもしれない。 でも、二人にとってそのダサくて無意味なことにこそ意味があるのだと思う。
外の世界の影響を受けず、その意味を見出すのも自分である。
自分が世界を沈めてしまった、そう考えるのは非常に重い。
誰にも責められることなく自分が「世界」の責任を負っている。
とても苦しいし決して賢くはない。
だけど、自分達のやってきたこと、出会いをなかったことにしないため、この苦しい選択をするのだと思う。

やりたかったのは、少年が自分自身で狂った世界を選び取る話。
新海誠監督インタビューより


4.おわりに

「天気の子」について3つの観点から述べた。
ファンタジーなのに所々が妙にリアルで、結末は全くもって世界のハッピーエンドではない。だけど、二人の中に残るのは抗いの証。天気に祈ることを忘れてはいなかった。
だからこそ帆高の選択が映えるのだと思う。

君の名は。」が社会現象となったから、適当に感動して映像で殴る感じの全年齢層狙いのハートフルラブストーリーにしてやろうとかそういうのだったら嫌だなあと思っていた(こんなことを1mmでも思ったバカは私だけかもしれない、こいつ分かってねえな…)。

むしろ蓋を開けてみれば、舞台が新宿歌舞伎町だったり最後の舞台が池袋のラブホテルに未成年で泊まったりとインモラルで小学生には厳しくない?という内容だった(それでも、過去作品のファンから見れば新海誠が一般受けを狙っているという見解もあるらしい。)*5

この作品について述べている時、何度か「大人」と「子供」という言葉を使った。本作品の根底にある考え方はそういうところにあると思っている。
「子供」という言葉には社会(の常識)を理解しておらず、それゆえ「社会」に抵抗し自己中心的な行動をとる。そんなニュアンスなのだろうと思う。

帆高と真に対立する価値観があるんだとしたら、それは社会の常識や最大多数の幸福なんじゃないか。
新海誠監督インタビューより


君の名は。」という「社会」で大ヒットを生んだ作品の後に出てきたこの「天気の子」という作品は、「天気」のような巨大でどうしようもない「社会」へのささやかな抗いだと感じる。
きっと「天気の子」での東京の惨状と同じで完全に抗いきるのは不可能だろう。だけどその爪痕を残すことには意味があるのだと思う。

『天気の子』という作品の何がいちばんのオリジナルかというと、それは物語のセオリーから外れた(のかもしれない)物語を、夏休み興業の映画でやることだと思っています。
新海誠監督インタビューより


作品には大なり小なり生まれる文脈が存在する。「天気の子」でいえば、「君の名は。」という大ヒット作品の後であり、どうやっても『「君の名は。」が、大ヒットした新海誠監督の最新作』と言われてしまう(「君の名は。」の後の作品という意味では誰でも見うると思います) 。

社会に抗うことを選ぶ物語を夏休み興業の映画としてやること、社会における「天気の子」の文脈を踏まえてやっているのだから非常に計算高く、面白いなと感じられた。

新海誠監督、素晴らしい作品をありがとうごさいました。

*1:この部分に関しては、正直言うと分かりません。なぜなら陽菜の過去がどうだったかはあまりに描かれていないから。陽菜の過去が描かれていないのは彼女の変化を見るに当たっての情報が不足していると捉えています。多分そうだろうとは思いますが、個人的にはこの裏付けは欲しかったなあと思います。あまり作品の批判をする気はないのだけれど、今のところの唯一の不満点です。もし裏付けがあったらごめんなさい

*2:天気の子は厳密にはラブコメディではないのですが…

*3:と思ったが、夏美や凪は本当に理解してないの?という疑問はありますね?

*4:精神鑑定を行うのは刑事訴訟上の責任能力・訴訟能力を問うためにあります

*5:まあ「君の名は。」も別にインモラルではないとは言えないのだけど…。

7月8日 マリンメッセ福岡

2018年7月8日12時。私は飛行機で福岡に移動していた。
Aqours 3rd LIVE TOUR福岡公演Day2、福岡公演の千秋楽に参加するためだ。

当日は13時過ぎに福岡空港に着き、博多ラーメンだけ食べてギリギリで開演に間に合った。

そして始まる3rd LIVE TOUR千秋楽。

公演前

私は「ラブライブ!」(無印)シリーズから好きだった。2期直前あたりからのファンだ。
だけど、μ'sに会うことは最後まで叶わなかった。5th/Finalとライブに行くためのチャンスはあったけど全部落ちた。ファンミは申し込みすらしなかった(ミミミのCD持ってるのにね…)。

μ'sがFinalライブを迎えてから会えなかった無念の気持ちに満ちていた。
そこで、その穴を埋めるために割と色々な物に手を出した。
だけど、μ'sを失ったことを満たしてくれる「何か」はなかった
Aqoursもその手を出した色々な物のうちの一つであった。
1期は「青ジャン」「ユメユメ」のCDは買っていたしむしろ期待していた。だけど、1期の最終話まで見て特段μ'sのような価値を感じられず(むしろ当時は理解不足故に13話なんてクソだろと思っていた(注:今は思ってないです))、他界した*1

2期で大分好きなアニメにはなったものの特別な作品とまではいかなかった。

今や考えられない話だが、当初私が3rd 埼玉に行った理由の一つに「μ'sの代わり」を求めて臨んだという側面があったことははっきりいって否定できない。

いや、Day1の「MIRACLE WAVE」で伊波杏樹さんが跳んだ時本当に感動したのは事実だし、12.5話も凄く良かった。3rd埼玉でライブ楽しかったなあ4thも行きたいなあと思ったのも事実だ。
だけど、いまだに自分が「μ'sのような何か」を探していたのもまた事実であった。

そんな私に何の因果があったのか、大学から仲のいい友人にラブライブ!(無印)を勧めたらドハマりし、そのままAqoursにハマった友人が福岡公演のチケットを用意してくれていた。

公演本番

開演時のキャラクター紹介での「起こそうキセキを!」を聞いた時だった。

恥ずかしながら劇伴にものすごく無頓着であったため、この時この曲が「キセキヒカル」の元となる曲だと初めて知ったのだ。

ファンにとっては常識だろ?え、お前は何を聞いていたんだ?
その通りで、自分は正直この時まではファンに満たない存在だったのかもしれない。

「起こそうキセキを!」を聞いた時のカタルシスは物凄く、自分の無頓着さはその意味でものすごく得であった。
「起こそうキセキを!」、幕間で流れるメロディー。全て「キセキヒカル」だった。幕間を聞いていくうちに、自分の中で"Aqours"の見方が変わり始めた

最初のMC巻き気味だなとか、「DROP OUT!?」披露された!!おお~とか思っていたら12.5話の幕間が流れ埼玉と同じ「青空Jumping Heart」が流れた。埼玉だとこれで終わりだったし最後の曲なんだろうな~と思った。

青空Jumping Heart」が終わり、「ありがとうございました~」と言うAqours
しかし、Aqoursははけなかった。

間を空けずに幕間で何度も流れていたメロディーが流れ始めた。
「キセキヒカル」だ。

この曲が流れた時、自分の中で衝撃が走った
そして「あぁ、埼玉をスタートとして福岡が完全版のゴールなんだ。だから"LIVE TOUR"なんだ」と理解できた。
その集大成としてAqoursの軌跡」を歌った曲を最後の最後に歌うのかと。
ああ、なんて綺麗なライブなんだと。

1年前、自分は福岡公演の感想としてこのように述べている。

ただ、曲とアニメの融合したライブを見せるのではなく「キセキヒカル」という曲を千秋楽に出すことで、休憩時間のような幕間にすら、文脈をつけてしまう。もはやこれはライブだけでもアニメだけだけでも楽曲でもない全てが有機的に繋がっている芸術作品だなと感じました。


私がラブライブ!サンシャイン!!のライブに感じている、求めていることってこういうことなんだと思う。
ライブはアニメとは不可分な存在で、だけどアニメそのものではない。アニメが不完全という訳ではないが、ライブによって現実のキャストがアニメや「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品のメッセージを補強する
埼玉と変わったのはたったの4曲(「DROP OUT!?」、「キセキヒカル」の追加、「Landing action Yeah!!」→「ホップ・ステップ・ワーイ!」、「勇気はどこに?君の胸に!」が普通Ver→合唱Ver)。
「ホップ・ステップ・ワーイ!」の選曲はAqours CLUB 2018に移行したからだと解すると、たったの3曲しか変わっていない。けれども、その3つの欠けていたピースが埋まることで3rd liveは"芸術作品"として完成されたんだと思う。

この「キセキヒカル」を聞いたとき、私の中でAqoursはμ'sの代わりではなくてAqoursという特別な存在になった
2年越しに自分の中の"呪い"から解放されたような気分だった。

そしてきんちゃんがMCで願っていたように「Aqoursが居場所になった」瞬間だった。

ラブライブ!シリーズだからとかそうじゃなくて、Aqoursが本気で好きになった。

それから

「動いてないと探せない」

キセキヒカルではそう歌われている。
「自分も動かなきゃだめだ。」
福岡公演が終わった後、何かをしたくて、普段本なんて読まないのに一冊の本を手にした。

何かをやるのに遅いということは決してない。 自分を進化させる53の方法

何かをやるのに遅いということは決してない。 自分を進化させる53の方法

この本の概要は以下の通り。
18歳からサッカーを始めた筆者が名門大学でサッカー部への入部を拒否される。だけど、あがいてあがいてアルゼンチンで練習生となり、選手としてキャリアは短いもののプロ選手となれ、アジア人初の女子サッカー一部リーグの監督になった。そして最終的には本田圭佑の専属分析官にまでなった。

普通サッカー選手って(メジャーなスポーツはそうだと思うが)小学生から初めて、中学~高校生で名門校に入って、その功績が認められて大学に推薦で行ったりするのだろう。
でも彼が始めたのは大学から。だから、当然のように所謂「普通のサッカー選手」にはなれなかった。
だけど、あがいた結果が評価されサッカーに関わる仕事を続けることが出来ている。

望み通りに夢は叶わない。人生なんてそんなものだろう。
だけど、叶わないからといって遅すぎるから諦めるのだろうか?そもそも遅すぎるってなんだ?明確な期限は存在するのか?

サッカーに限らず、アスリートがプロ選手としてやっていける確率はごくわずか。
それは自分でもわかっている。
でも僕は、自分のやりたいことを、自分の人生を、確率だけで選びたくはなかった。
本田圭佑選手の専属分析官がとった意外な選択。キャリアの「遅いスタート」を挽回する方法 | 何かをやるのに遅いということは決してない。 | ダイヤモンド・オンライン

夢はやりたいこと/好きなことの一つの具現化にすぎないと思っている。根本のやりたいこと/好きがあるから、夢は変わる、そして変えられるのだ
この本には凄く勇気を貰えた。

何でこの本の話題出したかというとAqoursの最新曲「Jump up HIGH!!」を聞いたときにこの本のことが思い出されたからだ。


Aqours Jumpin' up Project テーマソング「Jump up HIGH!!」試聴動画

(take a chance!)まだ間に合う!
(take a chance!)素直になれ!

私はこの曲を初めて聞いたとき、この歌詞に凄く驚いた。
1年前の私の気持ちだって…
何に間に合うのか?Aqoursを好きになること?それともあなたの夢はまだ間に合う?
まあそれはどっちでもいい(というよりどっちともとれると思う)。
私は福岡公演で感じた「動いてないと探せない」というAqoursからのメッセージを受け取った。
そのメッセージはあまりに強く大きくてその後何かをせずには居られなくなって、この本を読んだ。その時の気持ちを思い出した。

さて、それから1年。私はAqoursに貰ったエネルギーで転職した。
その話は他の所で書いてるからいいとして、1年間Aqoursを忘れることなんてなかった。
「好きでよかった」と思えるし、きっと私はある意味で「間に合った」んだと思う。

いつか 思い出に変わるの?変えてない!
現在進行形だよ i-n-gだよ 懐かしいなんて後にしようよ Aqours「i-n-g,I TRY!!」より

でも、Aqoursも人生もまだ全くもって思い出ではない。
特に、転職なんて職が変わっただけで区切りでしかない。
今は研修がめちゃくちゃキツくてひいこら言っている。こんなので"終えた"なんてとてもじゃないけれど言えない。
成し遂げられようと成し遂げられなかろうと、私たちは現在進行形の今を生きているのだから。

おわりに

こんばんは、あしかです。
7月8日はAqours 3rd LIVE TOUR福岡Day2公演の日でした。(ファンの定義にもよりますけれども)私がAqoursのファンになった日でした。
3rd埼玉と福岡の間のAqours関連の商品(BD7巻とAqours CLUB)は両方買ってるんですけどね…

Aqoursに対する見方が完全に変わった日でした。
福岡公演Day2の「キセキヒカル」。あの曲を聞いたときにAqoursからのメッセージが伝わって、こんなにライブって凄いものなんだと感じられました。
Aqoursラブライブ!)にハマった人のきっかけを聞いていると、何かのライブでハマるという話を聞くことが多い気がします。

自分もまさにそのタイプで、この福岡公演をきっかけにこの1年の間に20公演程度ライブ(orファンミ)の現地に行き、多分どちらかというとすっかり行き慣れている側の人間になってしまいました...。

ライブの順位付けなんて無礼なのかもしれませんが、私の中で3rd福岡を越えるライブはありません
3rd福岡公演のアウトプットを残したかったというのはブログを初めるきっかけの一つでした。
衝撃があまりに強くて、その気持ちを忘れたくなくて残したくて。どうしても何か記しておきたくて書きました。

比較的遅めのファン(多分)である私と同じように、これからファンになる人もいると思います。
そういう人に「まだ間に合う」と伝えたいなと思います。

*1:この評価の根底には終わりが上手くまとまっているかどうかが私の中で大きな評価軸になっていることがあります。当時はうまくまとまっていると評価はできなかった。

石原夏織1stLIVEBD発売記念イベント「CARRY PLAYING+」5/25 昼の部レポート

こんばんは、あしかです。
CARRY PLAYING+@SYDホール、あまりに楽しかったので書きます。




前回のお渡し会であった「CARRY PLAYING」は都合が合わず行けなかったので、どんな様子かは全く知らないまま会場へ行きました。

今回は普通のお渡し会ではなく今回は「キャリーに名前呼ばれ会」ということで石原夏織様から直々にお名前を呼んでもらえるというスタイル。
この話を聞いた瞬間ぜひ行きたいなと思っていました。いや、別にお呼ばれされなくてもいきたいんですけどね...。

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ラブライブ!サンシャイン!!2期4話「ダイヤさんと呼ばないで」より
僕が名前を呼ばれることに"目覚めて"しまったのはこれのせいです。
当時、そんなに真剣に見てなかったのにここは真顔になりました。
ガッツリセリフで「アシカさん(ちゃん)」があります。
生まれてきてアシカという名を授かって本当によかった(大袈裟)
目を覚ませ〜〜。

イベントの方は「知らないけど、1枚で当たるでしょ~」と思ったら当選。見る限り割と1枚だと落ちている人もいたみたいなので運が良かったです。
本当は2枚目買おうかと思ってアニメイト行ったら特典がなくなっててキレて買いませんでした

開演

夏織さん登場。列は前方(5列目くらい)でした。
あの一言よろしいですか?
衣装めっちゃかわいくない!?!!?!?!?!?!?


もうこれだけ鑑賞して終わりにしてもいいくらいには可愛い(何を言ってるのか分からない・・・)
写真だけでも十分に美しい夏織ちゃんを見ることが出来るんですけど、以前から申し上げてるんですが、サイズ感が良いなんですよね。
サイズが凄く小さい(※152cm)から写真も良いですが、実物はむちゃくちゃかわいらしいんですよね。この衣装で現れた時の「うわあ・・・」感は凄かったです。

CARRY PLAYING

PLAYINGなのでゲームをする企画です。
簡単なゲームなのかと思いきや、今回のゲームは炎の5番勝負

内容はキャリさんがゲームに挑戦して成功すればご褒美、失敗すれば罰ゲームというルール。
3つ以上クリアすれば成功。
技・体・食・謎・協の5つのゲームをやっていきました。

順番はどれからでもいいんですけど、夏織さんは律儀に順番通りやってました。

小さいサッカーボールで80cm先にあるボウリングのミニピンを倒すというもの。

夏織さんの自信のほどは、と聞くと
「小学生の時に学校のサッカーの授業でディフェンダー?がすごく上手くて褒められて女子サッカークラブに誘われるくらいだったので、自信はあります!」

なんでサッカークラブに誘われるくらい上手いのにディフェンダーに「?」がつくんだ?という疑問は拭いきれませんがどうやら自信はあるとのこと。

ピンはすぐ倒れるらしいので、このゲームのキモは正確にまっすぐ蹴るということ。

夏織さんが蹴ったボールは...

浮き上がって音響スタッフの方向へ飛んで行った。

あの…。
いやさ、ステージが平らだから足元はよく見えなかったけど絶対つま先で蹴ったよね?
普通横から蹴るでしょ...といつもの通りツッコミどころしかない。

この時点で会場は笑いに包まれました。
しかしスタッフは危険を感じたのか、急遽机の上で手でボールを転がすという方針に変更し、普通にゆっくり転がしたので成功
これでいいのだろうか…。

万歩計を30秒以内で100回以上カウントされればクリア。
万歩計あるあるですけど、振っても反応しないんですよね。最初確か振ってたんだけど反応しなくて焦って会場を走り回ることに。
結果は65回とかで失敗

綾鷹お〜いお茶伊右衛門の3つの利き茶をするという企画。

順番は忘れてしまいましたが、お〜いお茶伊右衛門綾鷹と味を確認するキャリさん。

お〜いお茶→匂いがする〜
伊右衛門→匂いがしない
綾鷹→匂いがする〜

って言ってました。食レポ下手すぎでは…?
お〜いお茶綾鷹の区別出来てなさそう...と思ってたらスタッフが出してきたのは綾鷹

スタッフも悪意があるなあと思いつつも、キャリさんは見事綾鷹を選び成功
綾鷹には茶葉が沈んでいるらしくてそれで見分けたみたいなことを言っていてほぼ完璧だったんですよね。

「事前には一番苦手そう」とか「なぞなぞが来そう*1」と不安がっていましたが実際の課題は、山手線の駅を1分間に20個書ければクリアだったかな。絶対無理でしょと思ったけど、案外さらさら書いて18個くらいは書いてました。時間があれば間に合った様子でしたが失敗

会場の中で何とかをした人というのを挙げてもらって最後に一人になればクリア。
昨日の夜にすきやき食べた人で3人になって今日の昼に何かを食べた人で1人になったんだっけな。忘れた。とりあえず成功

3つ成功・2つ失敗ということでご褒美獲得。
ご褒美はマカロンだったかな。「色づく」の最終回で食べたやつだ~と言っていた気がします。

これで既に1時間弱。
え、無銭イベントだよね??は??
ここから本題のお呼ばれとお渡し会です。

お渡し会

呼ばれる名前も話す内容は決めてました。

前のおじさんも"くん"づけだったので、僕も間違いなく"くん"づけだなこれはと思っていました。
キャリさん「あしかくん
はい、優勝。

ここからは真面目な話で、僕は1st LIVEのキャリさんのMCを聞いて「接近ってキャストにとって大事なんだな」と感じて自分の中でお渡し会のスタンスを変えたんですよね。
以下は過去ブログの抜粋です。

石原夏織オフィシャルブログ「Mahalo.」より一部抜粋
よく皆さん、自分は大した力になれないけど応援してるねって言ってくれますが、それは大きな勘違いで、*みんなが思っている以上に力強くて、私は勇気づけられて進んでいく事が出来ています。
私もみんなが力をくれたように、私もみんなの力になりたいです。


このMCで涙する夏織さんを見て、完全に泣いてしまいました。
キャリさんの言った「勇気をもらっている」という言葉はそれこそ「こちらこそ」なのです。

好きで応援してる人に「みんなの力になりたい」なんて言ってもらえることなんてこれほどうれしいことはありません。というより既になっているから、そのありがとうを伝えたくて、こうやってこの場にいるんだよって言いたい。

また、推しに対して願うことは人によって色々あるでしょうが、根本は幸せを願うということだと思います。そんなキャリさんが「幸せだ」と言ってくれたことはすごく価値のあることだし応援してよかったなと思います。

ashikaouou.hatenadiary.jp

要は「応援してます」の声が嬉しいみたいな話ですかね。
だから「応援しています、いつも元気を貰っています」ということを伝えたくて伝えました。

それがキャリさんの力になるのならばと普段思っていることを言うだけ。
まあこれを言うと、「ありがとう!」(ここらへんで剥がされる)「~のイベント期待してます」「バイバイ~」みたいになって会話にはならないんですけどね……。

終わりに

ポニーキャニオン素晴らしい。素晴らしすぎる。
キャリさんは"癒し"なんですよね。

名前呼ばれについてですが、やはり名前呼ばれるというのはセコい。

いつもお渡し会では「図々しいしそんな余計な仕事を増やしても」という気持ちと「折角ならいつも応援してくれてくれる人と認識してくれた方がいいのでは?」という相反する気持ちがあって、その二つがぶつかった結果、名乗らないのでこういう場があると名乗りやすくていいですね。まあモブみたいなことしか話せないので覚えられてるのかは不明ですし、「覚えられてるかどうか」は気にしたら負けな気がしますけどね。怪獣娘の時、お渡し会3回目なのに初めましてと言われた記憶がありますし…

ニューシングル「TEMPEST」のお渡しは東京のは全部通ればいいですね。イベント「TEMPEST MISSION」を当てる経費のついでにお渡しも通ればいいなあくらいですけどね。
ちなみにこの「TEMPEST MISSION」ってイベントは僕の誕生日にやるのでめちゃくちゃ高まってます。
去年と同じ会場ですが、今年は両部絶対当てるぞという気概があります(去年は昼しか通らず夜にアルバムとライブの告知されて結構悲しかった)。

お渡し会って次がある時にしかやられない気がしますが、「次の~期待してます!」と言えるほどの告知があるのはやはり良いことですね。

ここまで読んでくれて石原夏織のこと知らね~って人は次クールの「魔王様、リトライ!」というアニメでOPとキャストをやっているので、是非。
アニメの内容は特に保証しませんが、下のMVだけでもせめて見てください。曲はダンスナンバーでバリバリ踊ります。とてもかっこいい。そして美しい...。
あとラジオ(A&G 月19:00~)は"めちゃくちゃな"番組で面白いです。


石原夏織 3rd Single 「TEMPEST」MV short ver.

おしまい。

*1:キャリさんはなぞなぞが苦手で1年前くらいのイベントではなぞなぞだけが書いてあるお便りとか送られてましたね

虹と紙飛行機〜Aqours 5th LoveLive! Next SPARKLING!!感想〜

2019年6月8日、メットライフドームAqours 5th LoveLive! Next SPARKLING!! day1のアンコールだった。私はアリーナ席で連番者と話していた。話していたのは他愛もないことで、「セルコンびっくりしたし熱かったね」とか「ネクスパまだやってなかったら終わりだと勘違いしちゃうね」とかそういう話をしていた。
お決まりのAqoursコールをしたり会話したりしていると、周りが少しざわざわした。
近くの人が「みてみて!」と隣の連番者と思われる人に言っているのが聞こえた。キャストはまだ出てきていない。むしろステージではなく、横や後ろをを向いて言っている。
割れんばかりのAqoursコール。3rdからの定番である。そのAqoursコールが何かあったのか?どういうことだろう?そう思って取りあえず近くの観客が見ている横側を振り向いた。


私は虹を見たのだ。
確かに間違いなく雨の後にかかるあの"虹"を見た。

この虹はアンコールが始まったAZALEA*1の「卒業ですね」でも崩れなかった。本来ユニット担当のキャラクターの色で埋まるはずの会場。アリーナは確かに赤緑黄の色とりどりだったが、スタンドは虹の形を保っていた
それどころかアンコール3曲→幕間映像→Next SPARKLING!!→最後の幕間まで全てずっとスタンドの虹は虹を保っていた。

とても普通の反応とは思えない。ユニット曲が始まったらそのユニットの中の推しカラーで埋め尽くされるのが普通で、特にアンコール3曲目のCYaRon!「サクラバイバイ」はトロッコ曲で本来ならそこに来たキャストの色に変えて振るのが自然な反応である。例えば2nd Liveでのこの画像のように。

ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 2nd LoveLive! HAPPY PARTY TRAIN TOUR Blu-ray/DVD 【ダイジェスト】「地元愛♡満タン☆サマーライフ」*2より

でも各々がいきなりその場で与えられた役割を保って色を変えなかった。その当人に虹であることにどんなメリットがあるかと言えば、ハッキリ言ってしまうとあんまりない。そこにあるのは意識か無意識か美しさを保つための意志だけだった。

一人でも違う色を振ると虹は虹とみなせなくなるかもしれない。そういう危うさもあったし、前述の「サクラバイバイ」のようにキャストとコミュニケーションを取れる権利であるはずなのに権利をわざわざ放棄してまで虹になることを徹したのだ。
これはルールでもレギュレーションでもマナーでもない善意だったように思う。その意味において本当にただ美しい空間だった。
(補足)
2日目はアリーナの一番後ろだったのでスタンド最前の挙動は良く見えましたが「サクラバイバイ」で1日目に思っていた以上にはキャストに振っていたので勘違いかもしれません。ただし、先に述べたようにその反応がむしろライブを楽しむ上では「自然な反応」だと思っていて、いわゆるトロッコ当たりの座席を引いてキャストに振ってもらえる可能性があるというのは権利な訳でそれを放棄しろというつもりはありませんし、キャストに振ることに関して批判するつもりもありません。また、少なくとも最前付近より後ろは虹を保っていたのは2日目もみられたという点ではやはり美しいと思います。


「10人目」が美しさにこだわったならAqoursも美しさにこだわったライブだと思う。
今回はアンコール以降のセトリの話をしたい。

EN01. 卒業ですね
EN02. Guilty?Farewell Party!
EN03. サクラバイバイ
(この3曲を「卒業ソング」と呼びます)
幕間1
EN04. Next SPARKLING!!
幕間2

構成の変化

まず1st〜4thの構成から大きな変更があった。
今回のライブ構成で今まで変わった事といえば、 「キャストのMC」「告知」を今まではアンコールの最後の曲の前に置いていたのに対してアンコールの外に置いた(前者はアンコールの最後の曲に、後者は5/30の生放送にて告知していた。)。
この二つの共通点は「ライブの外へ向ける要素」である点で、今回その二つをアンコールから外した。

要はアンコールに(幕間を含んだ広義の)アニメライブ以外の要素をなくしたのである。

その効果は"キャラクターとしての"Aqoursの「卒業」を意識させることであった。
「10人目」に向けた卒業式の意味合いがあった。普段は「10人目」という言葉にそんなに肯定的ではない私だが、今回のライブに関して言えば「10人目」の存在は必須であったように思う。

卒業ソング

卒業ソングについてだが、当初ユニット曲だから真ん中くらいに流れるのだろうくらいに思っていたのだが、アンコールというライブの終わりに使われることでキャラクターが卒業することを強く主張している。
卒業ソング3曲では、等身大のAqoursのキャラクターたちがユニットとして卒業について思うところを述べている。
彼女達は3年生が卒業すること、そして時が過ぎていくことを決して否定しない。これは「WATER BLUE NEW WORLD」*3や「Brightest Melody」*4などの楽曲にも現れている。
その時の流れの中で卒業していく。

幕間1

まず幕間1では劇伴「Everything is Here」が流れ、映画ではおなじみの無くならないよの下り使われる。
Aqoursはなくならない」という言葉は無くなる可能性が全くない時にはわざわざ使わない言葉で、"あたかも"なくなりそうに見える時に「なくならないよ」と使うはずである。
また劇伴の「Everything is Here」は「全てはここにある」という意味で、これは果南が千歌の胸を指刺して「ここにあるよ」というシーンや学校の前で「全部ここにあったんだ!」という千歌のシーンと重なる。つまり、「すべてはここ(胸の中)に残っている」ということである。
二つを組み合わせると、「私たちはいなくなるように見えるけど、胸の中に残っているからなくなりはしない」ということになる。

Next SPARKLING!!

前提(10!を叫ぶか?)

「Next SPARKLING!!」前の幕間の最後はいつもの号令をして始まる。いつもの光景、映画でも何度も見たシーンだった。
しかし、一つ私には違和感があった。
「9!(鞠莉)」から「聞こえた」のセリフの間が映画より少し長い気がするのだ。
ライブで「10!」を叫ぶ余地があるのかどうか?(私は叫ぶつもりはなかったが)については個人的に気になっていて、ライブの前の週に映画館で該当シーンを確認していた。
その時に感じたことは「『10!』を叫ぶ間はそもそも物理的に存在しない」ということであった。
しかし、今回は「10!」を叫ぶための"間"が存在した。そういう風に思える。*5
以後の話はAqoursが"間"を空けてくれたという前提でみんなで歌うのはどんな意味があるかのお話。

歌について

「Next SPARKLING!!」は、映画において3年生がいなくなっても心は一つであるということ、そしてその3年生の想いは残っているから新生Aqoursの始まりの歌だった。しかし、映画において9人だったように見えるものも、ライブで「10人目」が内包されているとなると以下の通り意味が変わってくる。

映画→3年生はいなくなるように見えるけど、1・2年生の心の中に残っているから新しい輝きを目指せる
ライブ→ アニメのAqoursはいなくなるように見えるけど、10人目の心の中に残っているから新しい輝きを目指せる


ライブではもはや最後の曲を一緒に歌うということは定番となっているのだが、今回は同じ曲を一緒に歌うことでより「10人目」を意識したメッセージ性のある曲となった。一つ例をあげるならば以下の歌詞だろう。

止まらない 止まらない 熱い鼓動が
君と僕らはこれからも つながってるんだよ
「Next SPARKLING!!」より

この「君」は「3年生」であって「僕ら」は「1・2年生」であったのに対して、ライブでは「君」は「10人目」で「僕ら」はAqoursと意味が変わる。また、我々も歌うとこの「君」と「僕ら」は逆転する。つまりお互いが繋がっているということを双方向で確認している歌になるのだ。
この歌詞で言えば、これからも繋がっているんだよとをAqours"約束"したということだ。

幕間2

二人の少女と10人目

ここまでは「10人目」の存在を前提としていることについて確証は持てなかったがここの演出で確信した。

最後の幕間では映画の最後のシーンが意図的に"間引かれた"形で映された。

ライブでは「Next SPARKLING!!」が終わった直後にいきなり「Aqours」の文字を書くところから始まる。

逆に映画では、Aqoursに憧れる女の子二人が内浦の砂浜に来て「聖地だよ!」とはしゃぎながら「私も高校生になったら(Aqoursのように)スクールアイドルをやって輝きたい!」と言いながら砂浜に「Aqours」の文字を書き始める。

この「二人の少女」が消されていることでAqoursの文字を誰が書くかは明示されていない。
だけど、この場にいるのは「10人目」だけであり(「Next SPARKLING!!」の終わりにはキャストですら舞台から降りてしまうのでステージには誰もいない)、「10人目」が映画における「二人の少女」のような役割を果たしていると考えられる。「10人目」と「二人の少女」の共通点はAqoursに魅せられている点。その魅せられた気持ちの表れが砂浜でAqoursという文字を書く行為にあたる。
実際「10人目」が内浦の海岸という"聖地"に行ってAqoursという文字を書くことは「二人の少女」が行ったように日常的に行われている。
ここで映画と文脈は全く同じではないものの、「10人目」と「二人の少女」がリンクする。

紙飛行機

そして、最後にどこからかやってくる紙飛行機。
最後のAqoursと書かれた文字の横には紙飛行機が置かれている。
紙飛行機を飛ばす行為とは物語においてどのような意味を持つのかから考えていきたい。
私は以前から紙飛行機を飛ばす行為とは、「意志ある挑戦」を示すのだと思っている。
その理由をまず紙飛行機の性質と機能を説明し、そしてラブライブ!サンシャイン!!という作品においてどのような意味合いを持つのかを考えてみよう。

☆紙飛行機の性質
まず紙飛行機は自然にできるものではなく紙から人の手によって作られる。
つまり紙飛行機は"人の意志"をもって作られるものである。

☆紙飛行機の機能
紙飛行機は"飛行機"と名の付く以上移動する。移動する物体には必ず移動の向きが存在する。紙飛行機の場合、移動の向きは飛ばした人によって決められる。
つまり、紙飛行機は飛ばした人が飛ばしたい方向に飛ぶ。つまり必ず紙飛行機には向きと目的地が存在する。

ラブライブ!サンシャイン!!における紙飛行機
紙飛行機は思うようには飛ばない。風や空気抵抗によってすぐ方向が定まらなくなる。むしろ風にうまく乗れば思いもしないほど飛ぶ時もある。
紙飛行機を飛ばす行為は挑戦することを意味する。
つまり、何かに挑戦することに多かれ少なかれ外圧があることを示しており、必ずしも自分の思い通りにいかずうまくいかないことを示している(実際に映画の冒頭で幼い千歌は紙飛行機をうまく飛ばすことに失敗している)。
でも紙飛行機は飛ばなかったらすぐ手元に落ちる。
f:id:ashika_ouou:20190616120618p:plain 手元にある紙飛行機を拾ってもう一度飛ばすという行為のリスクは少ない。
何度でも紙飛行機を飛ばせる、つまり挑戦できるということだ。
挑戦に足踏みする人間に対して「意外と紙飛行機を飛ばす行為のように挑戦することのリスクは少ないかもね」と言っているように思える。紙飛行機の例えについて考えるとき毎回私は「勇気はどこに?君の胸に!」を思い出す。

何度だって追いかけようよ 負けないで
失敗なんて だれでもあるよ
夢は消えない 夢は消えない
勇気はどこに?君の胸に!」より


紙飛行機になぞらえるならば、
「紙飛行機を飛ばすことが失敗することは誰でもある。だけど、失敗した紙飛行機は手元にある。だから紙飛行機は手の届かない所に飛ぶまで何度でも飛ばすことが出来る。飛ばすのを諦めるその瞬間まで手元にある紙飛行機の存在は消えない
ということになるだろう。

前置きが長くなったが、更に限定して今回のライブにおける紙飛行機について述べたいと思う。
今回の紙飛行機は2期12話で千歌の元から飛んで行った紙であると推測される(実際、この紙飛行機がどんな紙飛行機かについて精緻に考察している方がいるので紹介させていただきます)。

合計11回登場している紙飛行機ですが、分類してみると実際には3種類の紙飛行機が劇中に存在していると考えられます。

紙飛行機の話 - ぶブログ


こちらの記事のとおり、アニメの中に出てきた紙飛行機は3種類あり、そのうち今回のライブにおける紙飛行機はⅢの2期12話「光の海」で千歌が飛ばした「0」の紙と同じである。

ここで二つの疑問が生まれる。
1.何故、紙飛行機が無地ではないのか?
2.何故、2期12話「光の海」では紙だったものが紙"飛行機"になっているのか?

まず、何故無地の紙飛行機ではなくて「0」の紙飛行機が飛んで来たのか。
この「0」の紙がAqours固有のものだからだ。


千歌(Aqours)の根底には1期8話「くやしくないの?」における東京スクールアイドルワールドという大会で「0票」だったことの悔しさがある。「0」という結果を突きつけられたこと、この紙が"事実/過去"だとするならばその紙を見てどのような方向に向かっていくか?(千歌の"方向"は「0」を「1」にしたいであった)を示す紙飛行機は"意志"である。

また、"紙"ではなく"紙飛行機"なのは、伝えたいのが"事実"ではなくて"意志"だからだと考えられる。
千歌が飛ばしたのは紙で、その時点で千歌から離れているので、それを紙飛行機にするという描写は存在しない。

でも紙飛行機を"意志"と捉えるならば、どこに飛ぶか分からない紙より、明確な意志を持って飛んでくる紙飛行機になる方が自然である。
(紙が紙飛行機になる瞬間についての根拠がないから少し甘いかもしれません。そもそも元となるサンシャインの映画で「なぜ、最後のシーンは紙飛行機になっていたのか」というところから考えなければならないと思います。ただ、私としては「意志を具現化したら紙飛行機となった」以外の理由はないのかなと思います。)

では結局この紙飛行機はどんな意志を伝えたかったのか?
まず、映画において紙飛行機はAqoursの文字を書いたすぐ横に飛んでくる。
これはAqoursの意志を受け継いで、「私もAqoursのように輝きたい」という二人の少女に向かって「次はあなたが(スクールアイドルを)やる番ですよ」と伝えていると解している。
しかし、今回のライブにおいては映画とは違って、その紙飛行機は「10人目」しかいない場に置かれている。このライブの観客は別に「スクールアイドルをやりたい!」という人だけではないだろう*6。だからもっと一般的な話で、「次はあなたが夢を叶える(又は挑戦する)番ですよ」というメッセージだと思っている。

残るのはAqoursの文字と紙飛行機だけ。「あなたはどうする?」とまるで「10人目」に聞かれているかのよう。Aqoursが飛ばした紙飛行機に触れるかそれとも無視するかも「10人目」に委ねられている。でも、「あなたがもし何か挑戦するなら私たちの挑戦を思い出してほしい。すぐ近くにあるから。」と紙飛行機を置いてくれている。アニメのAqoursとしての最後のささやかな後押しである。挑戦を厭わない、だけど「必ず出来る」なんて言わなくて、その背中を押してくれる。とてもAqoursらしくて美しい終わり方だなと感じる。

君の中眠らせてたのは どんな夢なのか教えて
「Jump up HIGH!!」より

どこかから飛んできたこの紙飛行機は内浦の海岸で止まる。「意志ある挑戦」を続けたAqoursが一つの着地点に辿り着いた「軌跡」の一つの終わりを示すのだろう。少なくともAqoursの意志を乗せた紙飛行機はAqoursの元を離れて止まったのだ。卒業も併せて一つの区切りを表すのであろう。

最後に〜虹がかかるということ〜

「10人目」は「美しさ」にこだわり、虹をかけた。
Aqoursも「美しさ」にこだわり、今までのライブと構成を変えてまで卒業と紙飛行機のメッセージを伝えた。
思い思いのカラーのペンライトを振るほうが簡単なのに。
今までと変わらない構成にするほうが絶対に楽なはずなのに。
Aqoursも「10人目」も予期していなかっただろう卒業と虹。"奇跡"であった。
私は"奇跡"という言葉があまり好きではない。なぜなら、物事を"奇跡"と呼んでしまうと誰かの努力という内生的な要因をないがしろにして突然あたかも外生的にその物事が生じたかのようなニュアンスに捉えられてしまうからだ。それでも誰も予期しなかったコンビネーションは"奇跡"と呼びたいなと思う。

「奇跡は起こるのかな?」
「私、思うんだ。奇跡を最初から起こそうなんて人いないと思う。ただ一生懸命夢中になって、何かをしようとしている。何とかしたい。何かを変えたい。それだけのことかもしれない。だから!起こせるよ、奇跡。私たちにも!」
「起こるかな、奇跡!」
「起こるよ!だって…だって…!虹がかかったもん!
(君のこころは輝いているかい?が流れる)
どっちにするかなんて選べないし、どっちも叶えたいんだよ。だから行くよ!諦めず心が輝くほうへ!」
アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」2期3話「虹」より

虹がかかったことは2期3話においては奇跡が起こることの理由づけにされる。 しかし、この奇跡が起こる理由づけは全く持って論理的ではない。
要は奇跡が起こる根拠なんて最初からないのだ。これは単なるおまじないで、信じるための後押しである。

実際アンコールの虹はライブの演出やシナリオの外にあることなので、この虹には示唆も意味も本来はない。そんなことは最初から分かっている。
だけど、みんな大丈夫だ。だって虹がかかったもん。と言える気がする。
分からない未来に対して、虹というおまじないがこう思わせてくれたのだ。

パンフレットには虹色の紙飛行機の背に虹が映っていた。虹色の紙飛行機は、虹を越えてまっすぐ空高くそれぞれの道へ飛んでいく。
そしてきっとそれぞれの色でそれぞれの道へ虹からは見えなくなるほど高い所まで飛んでいくのだろう。

一つの区切りは永遠の別れではない。別れの次に待っているのは出会いである。
卒業したのは"アニメAqours"であって"リアルAqours"の活動は続いている(浦ラジやニコ生、CDなど)。コンテンツを畳んだ訳では決してない。
だけど、今まであった"アニメAqours"が卒業するのは寂しいのも確か。
そんな寂しさを抱えながら、私たちは「全てがここにある」というメッセージを受け取り、Aqoursが残した紙飛行機をそれぞれの手に取って飛ばすのだ。
寂しさはあれど、区切りとしてはやはりとても美しくそして温かいライブだったなと思えた。
伊波杏樹さんのMCでもあったが、また会える時のために「好き」を続けること、また会うための「場」を残すことが大事なんだと思う。「会いたい」と思う限り「好き」で居続けること。「好きだ」と声にすること。とても難しいが、それが私たちに求められていることなのだと思う。

*1:ユニットカラーがピンク、キャラクターのカラーが赤緑黄

*2:https://www.youtube.com/watch?v=OA_3A_BhloU

*3:「時は今日も過ぎていく止められない」や「ずっとここにいたいと思ってるけどきっと旅立って行くって分かってるんだよ」

*4:「だけど先に道があるいろんなミライ次のトキメキへと」

*5:実際のところこれは他の人よりは少し新しい記憶というだけで曖昧な記憶を論拠にしています。物理的な余地がないように思えたと述べましたが、物理的余地について検討するならば、例えば応援上映で「10!」を叫んでいたかとかの方が論拠になるかもしれませんね。「太陽を追いかけろ!」のように「10!」の間はあまりないように感じられるのに「10!」を叫ぶパターンだってあり得る訳ですし

*6:勿論伊波杏樹さんや大西亜玖璃さんのように、実際にラブライブ!シリーズが好きで憧れ、本当にその好きの思いから「スクールアイドルになる」という夢を結実する人もいるのだが、大半はそうではないだろう

永遠って言いたくなって~Aqours 5th LIVE Next SPARKLING!!に向けて~

Thank you,FRIENDS!!の歌詞には「永遠」という言葉がある。

永遠って言葉が出て来たよ不思議と

永遠って言いたくなって


最近までこの言葉の意味がよく分からなかった。
永遠を意識すればするほど、その事実と離れていることが浮き彫りになる。
「永遠と言いたくなる」という気持ちが分からないわけではない。共感もする。
でもこの"永遠"は永遠ではないんじゃないだろうか?という疑念があった。
虚勢を張っているだけのではないだろうか。
虚勢だからこそ趣深いという考え方は確かに存在するが、その意見はただの虚勢であることは否定できていない。

そんな時に諏訪部順一さんのツイートを見かけた。


この言葉を見た時、目から鱗であった。
私の言っていることは半分正解で半分誤りであった。
つまりはこういうことだ。
「永遠」であることと「永遠を感じる」ことは違う。
「永遠」は存在しない(またはその存在を立証することは難しい)。
だけどそんな存在しない「永遠」であっても、「永遠を感じること」と「永遠を感じないこと」は明確に違うのだ。
だから「永遠」でなくとも今「永遠を感じる」ことには価値がある。
歌ってそういうものだろう。その歌に乗せた言葉が事実か正しいかなんて本質的にはどうでもいい。今その時の気持ちを歌うだけ。でもその気持ちは間違いなくそこにあってそれは真実だ。
そう理解した時、やっとこの歌詞の意味が分かった。


4th LIVEについて

思えば4th LIVEの時、事前には失礼ながらほとんど期待していなかった。

そもそもコンセプトが何なのかも全くわからないし、3rdから4thまでに出た新曲は3曲。むしろとある不安を抱いていた。
先代のμ'sは、東京ドームでFinal Liveを行った。東京ドームといえば、μ'sにとっての終わりの象徴であった。
Aqoursもこのライブで「終わりを示す」のではないかということ

分からなくはないが、こういうネガティブな声は聞いたし、「μ'sのゴールを勝手にAqoursのゴールに設定していた人」はたくさんいた。
正直言うと見るたびにうんざりしていた。

自分自身は「うるせえ終わってほしくねえんだよ!!!」と抵抗する側だったが、不安がない訳ではなかった。
次がないことなんてあってたまるか、終わるわけがない、終わってほしくないその一心で迎えた4thライブは蓋を開けてみれば本当に素晴らしいライブだった。ライブ前にネガティブだった自分が愚かだったなと反省するほどには。
μ'sの時終わりの象徴であった東京ドームはAqoursにおいてゴールじゃなくて、道半ばであった。だからこそ"今まで"と"これから"を示すものだった。
パフォーマンス、楽曲、演出等色々あったけど私個人として最も嬉しかったのはライブと告知で"これから"の道を示してくれたことであった。

未熟

映画「ライライブ!サンシャイン!!」で初見時に、個人的に物凄くAqoursらしくて好きだなあと思ったシーンが2つある。
静真高校の部活動発表会での失敗があり、「6人のAqours」について考え直す内浦の海岸での千歌と梨子の会話。

「私たちきっとまだまだなんだと思う」
「優勝したのに?」
「でもまだまだ」
「そっか、まだまだか」
「まだまだやれることたくさんあるって思える方が私たちらしい」
「走ろうか!」
「うん!」

初見時、一番最初に涙が止まらなくなったシーンだ。
ラブライブ!」シリーズには時折わざとやっているんじゃないか?と思える"リアル"との生々しいリンクが存在する。
例えば、無印の映画にあったあまりに人気が出すぎて歯止めが効かなくなる「?→HEARTBEAT」前後のシーンも非常に生々しくて初めて見たとき衝撃的だった。
この会話もまた、"今のAqours"を表している生々しさがある。

以前も紹介したが、津島善子役の小林愛香さんはとあるインタビューでこう述べている。

「でも私たちって、最初からドームでのライブ、紅白出場を求められたと思うんです。それが最低ラインというか。そこに立たなければ、その先もない。私たち的にはそこがスタートライン。大人には東京ドームは通過点と言われていました」*1


要は「まだまだ」なのだ。でもセリフにもある通りまだまだというのは裏を返せば「やることがたくさんあること」を示している。実際に梨子はそう捉えて私たちらしいと言っている。
きっとなんだってそうだ。現状に満足したら終わりで、探せばいくらでも「まだまだやれること」は存在する。だから、「そっか、まだまだかぁ」と言う千歌や「走ろうか!」と言う梨子はなんだかとても嬉しそうな笑顔で「走ろうか!」と一緒に走り出す。

あぁ、終わらないんだ

このシーンを見た時リアルとアニメが繋がってそう思えた。

「物事は捉え方次第」というのはラブライブサンシャインの一つのテーマである。
彼女達は悩みながらでも突きつけられた厳しい結果にも決して怯まず、そして歩みをやめず前へ進んだ。
思えば、彼女たちはいつだってそうだった。
彼女達のそんなひたむきさに私は涙したのである。

もう一つが劇中歌「Next SPARKLING!!」。
この曲は映画のEDであり、なおかつ新しいAqoursの始まりの曲である。
その中でも、Aqoursの9人が踊るシーンのあと十字の光が空に映るシーンで千歌はこう歌い始める。

今だって 未熟だけど

私は本当に驚いた。彼女たちは映画のEDで最後の最後ですら自分のことを「未熟」と評するのか、と。
イタリアやSaint Snowの問題、更には「まだまだ」という言葉が当初出てきた静真高校とのわだかまりを乗り越えて、行きついて出てきた言葉が「未熟」である。
何かを乗り越えて自分のことを「未熟」だと思える人間は凄く強い。
「未熟」と歌っている千歌はきっと目を輝かせているだろうと思う。
次の輝きを描きながら。

Next SPARKLING!!〜内と外の話〜

なんで9人で歌うのか?については色々議論があるが、正直ファン以外の人にとってストーリーの整合性(のようなアニメを外からの「評価する」立場にたつ時に使うツール)をもって、9人である理由を見出すことは難しいと思っている。少なくとも私は意味不明とは思わなかったが、万人が納得できるような理由を見出せなかった。
だが、逆に私はコンテンツ内にいる1ファンとしては「そりゃあ9人で歌うだろ」と思っている。
初見時からスッと入ってきてあまり疑問を抱かなかった。

これからの話の前提としてAqoursの「内と外」という概念が登場する。説明すると、アニメの登場人物は以下の3つに分類される。
Aqours:当然Aqoursそのもの
Aqoursファン:浦の星女学院の生徒やその父兄など
③その他:Aqoursに好きではない/興味がない/知らない人(映画でいうと初期の静真高校の生徒)

とても当たり前のことなのだが、Aqoursの内を①ではなく、①・②と書くこともできる(②を内とみなすことが「No.10」に近い概念だろう)。
以下では内を①とみなしている時もあれば、②も含んで述べている時がある。注意を払って述べているつもりだが、少々分かりづらい部分があるかもしれない。ご承知いただきたい。

まず、イタリアから帰ってきた後②浦の星女学院の生徒が①Aqoursに新しいライブのステージの構想を見せたシーンを見てみよう。
(画像はつじ写真館さんより。5/5に撮影したらしい。)
千歌達がイタリアから帰ってきた時既にステージの構想は出来上がっている。

ここで既に②浦の星女学院の生徒は「9色の虹」「9色のバルーン」を想定している。
新しいAqoursの始まりは6人であるはずなのに。
Aqoursはその時完全に分かっていなくても、②浦の星女学院の生徒は分かっている。浦の星女学院の生徒にとってAqoursは疑いようもなく9人なのだ。

1期6話「PVを作ろう」では千歌達の地元である内浦(沼津)の魅力は最後まで分からないままだった。しかし、内浦の海開きという地元の人間にとっては当たり前のイベントが「外から来た存在」である桜内梨子によって内浦の魅力として見出され、実際に評価される*2

映画の話に戻ると、千歌が見つけた「6人になっても9人で過ごした記憶や思いは消えない(から実質9人で歌っている)」という結論は言われてみればあまりに当たり前だ。当たり前だけど、当事者だから気づけない。そのことに先に気が付いているのが浦の星女学院の生徒である。ある意味「9色の虹」の話というのは1期6話と似たような構造である。
違いがあるとすれば、浦の星女学院の生徒は明示的にこのことをAqoursには言わない点。イタリアから帰ってきた後の分校でのAqoursの6人はそのことを分かり始めているから*3かもしれないし、自分で気づいて欲しいのかもしれない。

浦の星女学院の生徒はファンと重なる。
1期13話「サンシャイン!!」では浦の星女学院の生徒は千歌たちの努力を知り、何か力になりたいと感じている。
劇中歌の「MIRAI TICKET」で「10!」と叫ぶのは浦の星女学院の生徒で、まさに劇中の浦の星女学院の生徒はAqoursの魅力を理解し、主体的に参加するもの」である。
その意味においては浦の星女学院の生徒と現実のファンは"同質*4"だと言える。

映画で最後のライブは沼津駅前で静真高校の生徒と父兄が観客として行われた。
②たくさんの応援してくれてる人に支えられながら3年生の旅立ちと1,2年生の始まりの決意を口にし歌った曲。
物語としても③外部者だった月をはじめとする静真高校の関係者が②ファンとなっていくところで終わる。μ'sのスクールアイドルが根付くように「SUNNY DAY SONG」をまだ見ぬスクールアイドルに向けて歌ったということと比べてもラブライブサンシャインという作品はとても"ミクロ"だと思う。


少し本題から逸れたが、何が言いたいかというと「Next SPARKLING!!」において9人で歌うのは9人であることを内側の人間である①Aqours、②浦の星女学院の生徒(ファン)が当たり前と思っているからそれで良いと思っているということである。

4th LIVEの「想いよひとつになれ」だってそうだ。「シンクロライブ」の大原則沿って見れば8人で歌う曲を9人で歌うなんて有り得ない。だけど、9人で歌うことが本来のあるべき姿だから9人で歌うことを選んだ。これは①Aqours自身の話であるが、②ファンもこのことを受け入れた。多分文句を言う人はほとんどいないだろう。なぜなら1stでやりづらくなってしまった過去やアニメのストーリーを知っていて、その封印を何とか解きたいと願っていたから。③ファンではない一般の人には理解できないかもしれない。アニメと同じという意味でのシンクロが正しさか、本当にその正しさが必要か、という今までのライブを覆す問題提起をしたライブだった。

「Next SPARKLING!!」でも同じことが言える。
何もアニメそのものになることが正史ではない。5thで「Next SPARKLING!!」がどう披露されるか想像はつかないが、9人で歌うことを②ファンが認める、それでいいじゃないかと思う。



さあ 幕が上がったら ずっと歌っていたいね
「僕らの走ってきた道は...」より


私個人で映画で1番好きな曲の中で、映画中で1,2を争うくらい好きなシーンだ。「ずっと」。
これもまた一つの「永遠」で、ありえない願いだ。だけどそこに確かにあるのは「ずっと歌っていたい(今の)気持ち」である。
ラブライブサンシャインという舞台の幕は(映画の時制を順通りと仮定すれば*5)「WONDERFUL STORIES」で下がり、「僕らの走ってきた道は...」以降映画ではずっと上がったままである。
終わらないんだ、またそんな気持ちにさせられる。

物事には終わりがつきものである。舞台の幕はいつか下がるし、Aqoursだって終わる。私には今その覚悟はとてもできない。これからもその時が来るまで、覚悟はできないのだろうと思う。きっと「次で終わるのかも」と思ったほうが気持ちが楽で賢くて合理的なのだろう。けれど、どんなに愚かで非合理的でも私は構わないと思っている。
永遠とまでは言えなくても、どんな形でもいい。これからも力を貰いたいし、続いて欲しいのである。

やはり私が言いたいことって簡単に言えばそういうことだ。
長々と理屈を述べたが、要はAqoursに続いて欲しいということ。5th、そしてこれからもよろしくねということ。
そういうシンプルなお話でした。

5th LIVEまであと1日(いや、あと1日か...)。我々がAqoursに見せてくれるものは何なのか。凄く楽しみだ。

終わらない夢見よう。

*1:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181228-00010001-bfj-ent&p=2

*2:本筋から逸れてしまうのでこの備考のみに留めるが1期7話で寄せられる視聴者の好意的なコメントが「ランタンが綺麗」であり、Aqours自身のパフォーマンスが評価されていない点は面白いなと感じている

*3:ルビィの「できる!」やその直後の千歌の家での千歌と梨子の会話から読み取れる

*4:同じとは言わないが…

*5:なお、筆者は時制が順通りかどうかについて(というより「WONDERFUL STORIES」、「僕らの走ってきた道は…」はそもそも現実の時系列の中に入っているのかについて)はやや懐疑的であるがいったん置いておく。とはいえ「WONDERFUL STORIES」より「僕らの走ってきた道は…」が先だとは考えられなず、現実の時系列にあてはまらないにしても、そこには明確な不等号が存在するのでこの仮定が実質的に誤りという訳ではない。

ご報告:「動けば変わる」ということ。

5月31日に新卒から今までいた職場を退職した。
1年前、こんなに自分がAqoursにハマりそれがきっかけで自分のやりたいことを見つめ直して転職する、こんなこと想像しただろうか。まるでびっくりなプレゼントのようである。

最初に言うと、これは私と転職活動とAqoursにまつわるとても個人的な話である。だから、一般的か?有益か?と言われるとそうとは言い切れないかもしれない。
しかし、ブログとはあくまで「自己」発信のツールである。何も他人に有益な情報を流さなければならないという訳ではない。(と、同時に「発信」ツールであるから読み手の他者を想定しているのだが)

...ということで、何が言いたいかというと転職に関する有益な話はきっとしませんので、自分語りにお付き合いください。

学生時代

プログラミング

進路に悩んでいた大学3年生の時のこと。 理系の学生だったこともあり、とある会社でプログラミングのインターンをしていた。
自分の経験が欲しかったから、これを大学院生までやっていれば3年か4年やったことになるし箔(とスキル)がつくかもしれないなんて甘いことを考えていた。
しかし、実際はこの仕事では全然成果は出ず、もの凄く辛くて、1年間成果が出ないまま。
やればやるほど自信がなくなっていき、上司との折り合いが悪くインターンとはいえ仕事にいくのが嫌になっていた。
そんな中、特に無断欠勤や遅刻をしたわけではないのに、4年生の夏に告げられたのは「クビ」だった。

大学院入試

このインターンで自分の学科に関連する仕事なんて無理じゃない?と思っている僕に追い打ちをかけたのは、同じ時期に受けた大学院入試だった。
僕の学科の大学院入試は同じ研究室でも(うちのような研究室の場合)学部4年生の時は10人受け入れるのに対して大学院生になると4,5人になるといったように、まずそもそも全員が同じ研究室残れる訳ではなく、また他の研究室から来る人間もいることを考えると4年生から大学院生で同じ研究室に残れる人間というのはそう多くはなかった。
院試は見事に失敗し(失敗というよりかは自分が希望していた研究室が上層だったのに対して実力は中の下くらいだったから当然ともいえる)、割り振られた研究室は第5志望。
正直いうと、「行きたくない研究室」だった。 4年生の時にやっていたテーマに中身が一番近かったのがその研究室だが、一度その研究室を訪れた感想として感覚的に行きたくないと感じてしまっていた。
そこで、受けていたもう一つの学部のむちゃくちゃテーマは違うし興味はないけど環境は悪くないところに行くことにした。

とはいえ、研究というのは、創作活動的な(絵画や小説を書くといった類のもの)に近く、興味のないものをやるというのが非常に難しく苦しいものである(非常に乱暴に言えば、興味のない分野の研究を2年間やってくださいってのは風景書きたい人に学費払って人物画を2年間書いてくださいって言ってるようなもの)。

じゃあ何故わざわざそんな道を選んだか?
"最初から辞める気だったから"

この時点で一浪一留(+2)。
その年にすぐ気持ちを切り替えて就職する決意は湧かなくて、来年就職するぞという気でいた。
大学に残るという選択肢もあったが、+3だと就職活動はまともにできないという言説があり(試したこともないので知りませんが、実際には少なくとも応募はできる企業はたくさんあるよう)、恥ずかしながらそれを盲信していたため、門前払いと思って諦めていた。

就職活動

「早く逃げたい」

+3という絶望的なビハインドを背負っての就職活動の正直な気持ちでした。つまり、僕の就職活動は「研究からの逃げ」であった。とにかく早く逃げたい。

ここで持ち前の視野の狭さとネガティブさを発揮し、「+3でも大丈夫そうなところ」なおかつ「理系を捨てて文系就職」であるところしか受けないことを決めた。

本当に視野が狭い舐めた就職活動で説明会に行った回数も5回くらい、ましてや合同説明会みたいなものは行ったこともなく「就活」をロクにしないまま内定を貰った。いや、貰ってしまった。

もしかしたら「そんな楽に就職活動出来ていいじゃん」と思う人もいるかもしれないが、自分はそういう風には捉えていない。相当最初からシャットアウトして決めているため、それ以外の情報をここで大量の未来の選択肢を捨ててしまっていた。まあリスク回避のため大学で研究しながら平気な顔して就職活動出来るか?と言われれば…ですが。

就職

自分が入ったのはとてもブラックで有名なところで、最初からその覚悟はあって「社会人になったら自分は終わり」とか「遊んでいいのは学生時代まで」と思って働こうという思いはあった。しかし研修を経て配属されたのは何と一番の閑職だった。

これも「え、ラッキーじゃない?」と思うかもしれない。余暇のない生活を想定していていきなり閑職に割り振られるのも中々気持ちの整理は難しいものである。閑職は組織のメインとは全く別の仕事をしてるので組織のホットな話題が全くわからず、他人の仕事の話題に全くついていけないという厳しさを感じていました。また、業界ルールや人との関わりが少ないから情報を全く知らないまま過ごしていき明確に他の同期との"差"を感じていた。

また次第に自分の仕事が同期で一番暇なのではないか?そしてそれは能力がないという組織の評価なのではないかと思い始めました。

社会人ならわかると思うが、配属は選べないし、そんなすぐ異動できるものではない。いわゆる「どうしようもないもの」のである。
何とかしたいのにどうしようもない。自分が一番暇であることに強い負い目を感じていて、完全にコンプレックスになっていた。

職場では上司に気に入られ高く評価されていたし残業も少なかったので十分に休めていたはずなのに自信を失っていった。
その暇な時間にゲーセンに行ったりクイズしたりアニメ見たりと趣味に勤しんが、それとはまた別に職場に行くとそういった不安や不満と向き合わなければならなかった。
また、異動したいかと言えばそうでもない。異動しても行き着く先は「ブラック」である。幹部になった自分が楽しそうに仕事してるとも到底思えないし、いやそもそもこの生ぬるい環境の後「ブラック」にいきなりぶち込まれたら生き残れるのか。何年か続けられたとして、途中でやめたくなって代わりの就職先なんてあるのか。
もし生き残れたとしても、10年、20年、その「ブラック」から自分の中の大切な何かを奪われていくのではないか。その自己犠牲に対して得られたものは何なのか。自分はいいのか。

そんな不安が自分の頭の中につきまとっていた。そして組織の同期のうち自分は一番できない人間で、自信はない。そうやって存在しない他人と比べて日々を過ごすことによって自らを蝕んでいくのがわかった。*1普通に風邪ひきやすいとかいうレベルではなく風邪を引くようになり、しまいには休みがちになりギブアップして休職してしまった。
この時転職も考えていた。だけど、自分の中で迷いがあって具体的に活動をするほどではなかった。そんな時に休職してしまったため、転職の考えは一度消えた。

休職

僕の休職は休職にありそうなイメージの「職場に行こうとしたら体が動かなくなって出勤できなくなってしまった」というよりかは「5日通して出勤できるほどの安定性がないから一度職場から離れたほうがいい」という状態だった。

しかし、それゆえのもどかしさと罪悪感があり、元気な時も日々を漫然と過ごさざるを得ない気持ち。特に全力で遊ぶことにはかなりの罪悪感があって、何か新しいことを主体的にできるほどの元気はなかった。

その時に再び学生時代に好きだったラブライブ!に出会わせてくれたのがスクフェスACだった。
自分が休職をしたのは2018年3月上旬辺りから。昨年の海未ちゃんの誕生日とポスターイベントは休職して間もないころに始まった。

そして1年前の2018年3月15日は「ラブライブ!」というコンテンツへの再度とっかかりを作ってくれた日でした。
(中略)
まず全体のポスターと海未ちゃんは欲しい、出来るなら全キャラ揃えたいなと思ったのが「ラブライブ!」へのとっかかりのリスタートでした。
(中略)
海未ちゃんの誕生日は自分のラブライブ!との関わりは終わったんだと思ってシャットアウトしていた自分に再度ラブライブ!の魅力を教えてくれた日なのかなと思います。
園田海未ちゃんお誕生日おめでとう2019より

幸か不幸か時間がたくさんあったため、この期間にアケフェスをたくさんやることが出来た。 久しぶりに見る海未ちゃん、そしてμ'sのメンバーは可愛くてやってるうちに楽しくなっていった。

次第に最初はハッキリ言って興味がなかったAqoursにも興味を持つようになった。
ラブライブサンシャイン2期がやっていたのは2017年10月~12月。面白いアニメだったし、コンセプトもとても良かった。休職する少し前で自分の感性が死んでたからかもしれないが、あくまで好きなアニメの一つであった。
スクフェスACスクフェス5周年でスクフェスを再インストールして、Aqours熱のある大学のサークルのメンバーに沼津に連れていかれ、そうこうしているうちにAqoursやそのキャストにも興味を持つようになった。
暇を生かし、昔のニコ生を見たりして一気にAqoursへの興味を持っていった。

そんな時たまたまフォロワーの友人が3rdのチケットを余らせているということを耳にして、チャンスだと思って思い切っていくことにした。

ライブの予習の時、(当たり前だが)Aqoursの曲をたくさん聞いた。音楽の力って凄いもので、アニメを1回しか見ていない自分でも曲にどんな意味があるのか、アニメでAqoursの伝えたいことが詰まっていると分かった。アニメを見直すのはコストがかかるかもしれないが、音楽なら「手軽に」そのエッセンスを何度でも伝えてくれる。この音楽とアニメーション(や主題)の関係性がラブライブサンシャインという作品にエネルギーを貰え、僕がこの作品に強い"オリジナリティー"と愛を感じる理由なのかもしれない。

3rd LIVE福岡公演

埼玉公演を見てさらに興味を持った自分は友人の誘いで福岡公演に行くことに。
ラブライブサンシャインのメッセージが最もストレートに伝わったのが福岡公演だった。

動いてないと探せない 休んでも止まらないで
Aqours「キセキヒカル」

何もしていない状態からは、何も生むことができない。Aqoursのメンバーはだから「あがく」ということを選んだのだ。「キセキヒカル」という曲では「あの頃の僕ら(成し遂げられてない頃へのAqours)へと教えてあげたい」となっている。

変えるためには動かなきゃいけない。
そして動けば変わる。
現状に不満と不安を抱いていただけど、変える勇気のなかったこの時の僕にとって、こんなに勇気を与えられることはない。

その勇気は 君にあるよ
Aqours勇気はどこに?君の胸に!

そう、勇気は自分の中にあるのだ。

キセキヒカルという曲の持つ意味、どうして劇伴では似たようなメロディー(語弊があるかもしれない)が幾度となく繰り返されるか?という疑問が一気に溶けた瞬間であった。
その思い悩むシーンや決意を「奇跡」を起こしたいとあがいたAqoursの「軌跡」だから。その過程全てが「軌跡」として「輝いている」
過程というのは人の生き様だ。この物語は自らの在り方の「全肯定」する物語である。やっと理解した。


3rd福岡の次の日のことだった。
休み明け暇な部署に復職していたのだが、その日に人事より異動が言い渡された。その時のことである。

あなたの最初の2年間は失敗だった。次がラストチャンスだと思って頑張れ。」
「...は?」

その時人事から投げつけられた言葉は、前の日にラブライブサンシャインが教えてくれたことは全くの真逆であった。「他者からの全否定」である。お前のやったことは無駄だと。

本心じゃなくて人事として異動をさせるために発破をかける意図があったのかもしれない。それにしても普段の行動を把握していないお前に何が分かるんだと憤った。
僕はここで仕事のブラックさ以上にこうでもしないと人を回すことのできない組織体制に嫌気がさし、今後この組織とはやっていけないと思ってしまった。
僕はこの時に「辞めよう」と思った。


転職活動

2018年編

秋ごろに少しだけやったが、はっきり言うとうまくいかなかった。
理由はとても簡単で転職でやりたいことがなかった

最初に相談したエージェントは、業務内容を適当に話して性格やコミュニケーション能力?を見られてどんなお仕事に向いてるかを教えてくれる。いや、お前は占い師か何かか?
その時は向いてそうな仕事やその業界の情報など、いろいろ教えてもらっい面談後にメール1件貰ったもののイマイチ条件に合いそうなものはなく、連絡はなく。ただ、向いている職業というのが存在するということが分かって一つの自信となった。

次にアパートの一室で個人でやってるおばちゃんのところに行った。
そこで勧められて何個か書類選考を送ることにしたものの、落ちる落ちる。
何個か書類を出したもののうち一つだけ面談に行かせてもらえたので行くことに。初めての面接だった。

…しかし、その面接が最悪であった。
どういう点で最悪かというと、
1.自分が相手の会社と接点を見出せずロクに準備をしてこなかった点(この日のために1日休み取ったのに面談の準備をせず、面接のギリギリまでゲーセンにいてその後ギリギリの時間に着いた)
2.相手の会社の面接の職員の態度がでかく常に詰め詰めだった点
3.面接の受け答えもあまりにダメすぎて1時間と言われていた面接が15分だった点

もう終わった瞬間落ちたと分かった。エレベーターに送られた後、酷すぎて笑うしかなかった。
面接中に自分の気持ちも切れていて、「〇〇が強みと書かれていますが、何か裏付けするエピソードはありますか?」「ありません!」と答えてしまったり散々であった。

当然のようにお断りの連絡が来た。

当然の結果ではあるものの、そもそも転職活動してるのに何もやりたいことがなくて何もできない自分が、悔しくて、悔しくて。
ラブライブサンシャインの1期8話「くやしくないの?」を見て泣いた。
1期8話「くやしくないの?」は東京のスクールアイドルワールドという大会で「0」を突きつけられる話であった。「0」というのは全否定である、「他者からの全否定」。他者から認められない者は存在しないのと同じなんだ、そういう悲壮感をもった高海千歌をはじめとしたAqoursのメンバーの姿はとても自分と重なるような感覚がした。誰にも認識されない。必要とされていない。「0」ってそういうこと。リーダーという役割を求められるが故にその点に素直に向き合えない千歌。最終的に千歌は自分の悔しい気持ちに向き合い、「0」じゃない世界を知りたいからと彼女達はまた走り出す。

さて、自分はどうなんだろう?
まず、自分がなんで今のところに入ったかを考えた。研究が嫌だったから。理系を諦めたから。 じゃあ今のところをやめるのはなんで?
今のところが嫌で向いていないし、希望が持てないから。

...あぁ、「同じ構造」だと。

もっと言えばわざわざ東京で一人暮らしをするために大学に入った理由も、中学受験に失敗したせいで自分のコンプレックスが生まれてしまい、それを解消するために東京というほとんど誰も自分のことを知らない新しい世界に行くためだった。

自分の人生、逃げ続けてばかりだ...って思った。

きっとこのネガティブな理由だけのまま転職活動を続けても幸せにはなれない。また逃げるだけだ。そんな未来には希望は持てないと思い、一旦転職活動をやめることにした。

そして思った。ブラックなことより今仕事に居場所を感じられず、未来を描けないこと、仕事で人生のたくさんの時間を使っているはずなのに輝けていないことが嫌なんだと。

自分の輝きは組織によってではなく、結局のところ自分で定義するもの。
だから、自分の「今やりたいこと」を見つけて、その為に転職活動したいと思った。

当事者

とはいえ、そんなに簡単にやりたいことは降ってくるものではない。
今考えればこの時は毎週のようにブログを更新していたから、真剣ではなかったのかもしれない。
だけどそんな自分に勇気を与えられる出来事があった。前も記事にしたものであるがウルトラジャンプ1月号のインタビューにおける逢田さんの言葉だった。

私たちは皆さんのおかげで沢山の夢を叶えてこれたって今回思った。これからももっともっと叶えたいことがあるけど、10人目の誰かの夢を後押ししたい。日頃、色々な夢を抱えている人も多いと思うから、みんなも一緒に叶えよう!
ウルトラジャンプ2年生インタビューの逢田梨香子さんの言葉より)

僕自身は「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品を見て、曲やライブを通して「夢」を強く意識したという話は以前もしたと思いますけど、それは言葉じゃなくてライブやアニメを通してだった。タイトルの言葉を直接噛み締めた時が「まさに夢を与える仕事」の意味を体感した瞬間。これを見た瞬間「ああ、自分も頑張らなきゃなあ」と思いました。
(中略)
自分の夢を叶える者として当事者意識が強く芽生えたのはこの頃でした。
推しが活躍することを願うだけではない、推しの活躍で自らの新しい夢や目標を手に入れることも「夢を与える仕事」をする人の願いなんだと感じられました。
僕たちはそういう風に思われているのだと自覚しなければならないのだと。
「10人目の誰かの夢を後押ししたい」より

自分は「自分の人生の当事者」なんだって思えた。
とても当たり前のことだけどそう感じて生きるのはとても難しい。
自分の人生を動か動かすのは自分のみなんだ。だから、ふと歩いていたらアイディアが浮かんでくる訳じゃない。向き合って、年始からもう一度転職活動をしようと思った。そのために自分のやりたいことを年末年始で凄く考えた。

2019年編

年末年始にやりたいことを考えてようやく焦点が定まった。
だから、ファンミと映画に行きながらの転職活動・・・くらいのつもりだった。
普段はそこまで忙しくない部署だが、年始から20年に一度くらいの大炎上を経験した。
2月は電車で帰れなくてタクシーを月に5回経験とか、本当に平日は死の日程だった。

休日はイベントを最優先し、空いてる日は転職エージェントに会って求人を探す。
残った時間で面接対策したり、受ける会社のお勉強をしていた。
映画は休日の空いてる日か平日深夜のやつに行き9週目まで毎週見た。
本来忙しいアピールなんか全くもってしたくないんだが、今回ばかりは自分でうまくイベントと両立して頑張ったなと思える。
ただしその代償は勿論あってブログの更新頻度は激減したし、クイズもやめてしまった。

2ヶ月半で5社(やりたいことが明確だったためか確か書類は全通した)受けて、面接で落ちるのを繰り返しで必ずしも限られた時間を使って面接対策をしても報われる訳ではなかった。
でもそんな辛くて転職活動をやめたいなと思った時に勇気付けてくれた3つの歌がある。

変われそうだって 変われない時だって感じてるから
こんどこそ こんどこそ
ゼロからイチの扉を開けよう 変わりたいときなんだ
多分この先の未来は謎のままだね
Aqours「Step!ZERO to ONE」

この曲の歌詞の素晴らしい所は「変われないことに対して無責任ではない」ことである。元気を与えられる歌には「きっと出来る!変われるから大丈夫!」と出来たことを想像して又は現実に出来た状態を歌う趣旨のタイプの曲が多いと思うが、この曲は間違いなくそうではない。
むしろ「変われないこと」を起点としている。こんなネガティブなのに、元気を与えられる歌があるか。このネガティブさは変われない時を認めているからこそ生まれる。「こんどこそ」という言葉からAqours自身が「変わろうとしたものの変われない」ことが読み取れる。それでもゼロのままだと未来はわからないまま。だから扉を開ける(=行動する)のだということ。
私は変われない側の人間だった。だから変われない人間に寄り添ってくれるこの歌に凄く元気を貰えた。

夢は夢のようで過ごすだけじゃなくて痛み抱えながら求めるものさ
Aqours「WATER BLUE NEW WORLD」

この歌詞から浮かぶアニメのシーンは
「一番叶えたくて叶えられなかった願い」


その「どうしようもなく」「取り返しのつかない」痛みでさえも夢を求めるための一歩だった。
今自分が「辛い」と感じていることは夢を叶える一歩なんだなと思えた。

投げ出したいときこそ大きく変わるときさ
そこにきっとチャンスはあるからあったから
動いてないと探せない 休んでも止まらないで
Aqours「キセキヒカル」

「じゃあ救ってよ!」

投げ出したいとき「こそ」、変わるとき。この言葉にすごく勇気付けられた。
これはラブライブサンシャインが見せてくれたとても大胆な発想の転換だった。現実にあるのはどうしようもない事実だけで事実は変えようがない。だけど、事実を受け止める時必ず人は認識というフィルタを通すのだ。大きく変えるためにはそのフィルタを変えるのだ。
救うことは廃校を阻止することだけとは限らない、「救う」という言葉は決して客観的な言葉ではない。だからこそ、目的のための手段は一つに限らないのだ。


...そんな感じで励まされながら、転職活動を始めて2か月ぐらいの時、今度就職する会社の面接を受けることになった。

この会社、一番最初に受けて1時間の面接を15分で帰された会社と同業の別会社であった。
正直言うとその時のとても嫌な記憶があり、イメージしたやりたいことには近いものの、受ける前にはあんまりいいイメージないしどうせまたボコボコにされて落ちるでしょ~くらいの気持ちだった。

しかし、実際に行って出て来た面接官はすごく穏やかで、だけどすごく熱があって驚いた。
書類出した時点で印象は良かったのもあるだろうが(ここは実力というより運だと思う)、
そんな面接官の話を聞くにつれ「ああ、俺はここで働きたい」という思いを強くした。

業界イメージが昔の面接のイメージだったから。つまり、感じた「驚き」や「思い」は最初に受けた面接がないと存在しなかったかもしれないということ。

「今までやってきたことは全部残っている。決して0にはならないんだよ!」

あの映画のシーンが強くフラッシュバックした。あんなクソみたいな一度目の転職活動で感じた不快感ですら「0にはならないんだ」と。

その後最終面接を終え、割と穏やかな形で内定を取ることができた。

逃げださずに自分は一歩踏み出せたと思えた。

しかし、これは割と綺麗事で正直に言うと「限界」だった。
僕には辛いことですら全て受け入れ楽しめるほどの度量は無かった。
休日にイベントか就活してアテを探して平日に仕事は残業続きなのに面接を受け...られず(仕事の都合でどんなに早くても週1回・7時からくらいしか面接は受けられない)辛すぎた。もう本当に辛い。一般的に多いかは知らないが、2ヶ月半転職活動をして5社しか受けられなかった。これでも無理をして面接を入れていたと思っているので、相当活動が制限されていたように感じる。
あとは4月の後半から新人の教育役をやらされるということがあり、今日は早く帰りますも中々難しい。そうなるとまた転職活動は鈍りどんどん遅れていくだろうと思った。新職の面接はラストチャンスというのは言い過ぎかもしれないが、間違いなく一つの区切りであった。そう思った時にやっと掴めた。

決まったという連絡は夜残業してる時に職場で受けて、本当に良かった…と。
Aqoursをはじめとしたエンターテインメントがある意義は好きな人にとって生きがいの一つになることだと思う。

Aqoursは間違いなく僕の生きがいだったし今もそうである。特にAqoursには「夢を諦めない不屈の精神」というコンセプトがある。だからこそそのメッセージが僕に力をくれ、こうやって諦めずに達成したかったのだ。ラブライブサンシャイン過程を肯定する物語だった。それでもそのメッセージを受け取った僕は目に見える結果が欲しかった。なぜならAqoursに力を貰ってこうやって新しい一歩を踏み出せたって声に出したかったから。これは僕の傲慢な我儘ででも以前からずっとあった思いだ。

りかこ、本当にソロデビューおめでとうございます。

あなたが夢を叶える姿は凄く応援したいと思えるし元気を与えられます。
これからも夢を叶えて欲しいし、そのために推していく所存です。私も色々と世の中には厳しいことが多いなと感じるところですが、私自身も凄く励まされるところがあって後押しされているなと感じます。だからこそ結果を出したい。頑張ります。
「10人目の誰かの夢を後押ししたい」より

就職先が決まった時、浮かんだ言葉はたった一つのシンプルな言葉であった。

「ありがとう」




「転職します!」とSNSで言ったとき思ったより反響が大きく、めちゃくちゃSNSで愚痴っていたためかほとんど絡んだことがない人に「凄く苦しそうだったのでおめでたい」と祝われたり、ツイッターとLINE両方で祝ってくれる人がいたり、転職先が決まった週末に昼と夜それぞれ別の人に祝われて奢ってもらったり、前の職場の上司に定期飲み会でその話を打ち明けたら祝ってくれて奢ってくれたり、自分の職場のことをよく知っている同期に「あの仕事は大変だったよね。本当に良かった」と言ってもらえたり。
なんだかたくさんの人の温かさに触れたなあと思う。
辞めるなんて勿体ない的なことは内外合わせて本当に誰からも言われなかったのは色々とお察しなんだが
何かの用事で会って直接おめでとうって言ってくれるのが凄く嬉しかった。
こんないい思いできるから毎週転職するか〜と思った。いや、嘘です。しばらくはもう勘弁してください...。
それ以外にも口に出さなくても静かに祝ってくれた人もいるかもしれません。もし読まれていたらこの場を借りてまとめてお礼の言葉を述べさせていただきます。ありがとうございました。

**
完全に余談ですが、安定って何なのか?ということは自分の一件ですごく考えた。
自分の前職は「安定した組織」であった。
でも、安定した組織に所属することは必ずしも自らの安定ではない
要は、組織の安定は自らの安定と完全に密接という訳ではないということ。
世の中、安定した組織の中で働きたいという人は多いようだが、それは本当に「あなたの」安定なのか。
組織が潰れなくても、あなたが潰れることはあるよ、というのは声を大にして言いたい。
自分のあり方がうまく定められることが最も自らの安定なんだと強く感じた。

**

これまでとこれからの話

1年前の自分はまだ休職していた。
そんな先の見えない絶望の中にいた自分がAqoursと出会って自分を見つめ直す機会となってこうやって一歩を踏み出せた。
今考えると1年前には想像もつかない人生を歩んでいる。

「仕事やめてぇ〜」
誰しも思う時はあるし、言うだけならすごく簡単である。
だけど、実際辞めるか?辞められるか?そんなに皆が皆やめる訳ではないだろう。

仕事に限らず「変える/変わる」ということはとてもとても難しくて、強いエネルギーが必要
また、エネルギー(コスト)だけでなくリスクも伴う。新しく変えることは必ずしも正しい訳ではなく、例えば転職活動だと仕事を変えたところで行く先はものすごく悲惨な会社かもしれないし、ものすごくいい会社であっても合わないかもしれない。

でもやってみなくちゃわからないのだ。

「やりたい/違う」と思った時、自分のその気持ちに抗うべきではない。このことをAqoursは思い出させてくれた。
自分は大学受験や就職もそうだが、どちらかといえば割と自分の気持ちに抗わずに過ごしてきた方であった。とはいうものの、以前に比べて年は取っているし*2、だんだんリスクを取ることを恐れるようになっていた。
やりたいことをして自分が納得をするために本当に年齢という要素は枷になるのか?いや、なるかもしれない。だけどそんなことは分からない、分からないからやる、やってみるのである。
と同時に時は待ってはくれない。無常にも過ぎていく。だから今やるのが一番価値が高いのだ。及び腰になっていた僕はきっとAqoursと出会わなかったらこの決断は出来なかったと思う。
その中でAqoursは自分が一歩を踏み出すための自分の中にしかない勇気の所在を教えてくれた。後押ししてくれたのだと思う。

僕が踏み出したのは大きな一歩なのか小さな一歩なのか正直よくわからない。
でも、少なくとも確実に一歩は踏み出していて、新しい船出であることは間違いない。
「新しい船出」というのは決して終わりではなく、始まりにすぎないのである。
だからこれからも生きていかなきゃなと思う。
好きな人たちが輝いていく姿を見ていくと同時に、自らも自らの人生の当事者として輝きたいと思うのである。
好きなものに元気を貰いながら、こうやって自分の「好き」を主張し発信しながら。

今 未来 変わり始めたかも!
だって僕たちはまだ夢に 気づいたばかり

*1:ツイッターでは当時から時折呟いていましたが

*2:取っているとは言っても転職する人の中では普通に若い方な気もするが……

小林愛香1st Fan meeting「and PARTY!!」(昼公演)所感。

今回は4月30日に行ってきた小林愛香1st Fan meeting「and PARTY!!」昼公演の話です。
少し不遜になるかなと思うんですけど、楽しかったので簡潔に書きます。

僕は逢田さん推しなんですが(2回連続)、Aqoursのキャラクターでは小林愛香さんの演じる"ヨハネ推し"なので、声が好きで歌も好きだから参加したくてわざわざFC入って参加しました。
自分の推しのイベントのレポート書けよという感じですが、まあ色々あるんです……察してください

レポートはファンの人が書いてくれればいいので自分はライブパート(の一部)についてだけ書きます。なのでこれはファンミ「レポート」ではなく「所感」と位置付けています。

あいきゃんの印象

あいきゃん(というよりヨハネ)はAqoursを好きになる前(アニメ2期を見た印象)から「ヨハネって可愛い声してるし、演技上手いよなあ」でした。
何よりヨハネとしての"ツン"の演技と善子としての"デレ"の演技の落差が凄く綺麗で、普段ツンとして本心を言わないから本心を言うシーンに心を揺さぶられたり。
キャラクター的に世界観を作りやすく演じやすいというのを差し引いても彼女自身がヨハネという世界を作っているような感じを受けました。
とか思ってたら、「えぇ、この人声優やったことないの!?!?デビュー作??はぁ?意味わからん!!」と思いました。おまけに歌も上手くてカッコいい。
Aqoursのファンになってからは、「とりあえずヨハネに対する愛がすごい人物」という認識でした。ヨハネAqoursが好きなんだってのは色々な発言や行動から感じられていて、あいきゃんという人物をヨハネAqoursなしで認識することはできなくなっていました。
そんなあいきゃんが個人としての写真集「愛香」を出した時のインタビューはそこそこ衝撃的なものでした。

https://www.buzzfeed.com/jp/tatsunoritokushige/aikyan2018
「ドームライブ、紅白出場が最低ラインだった」小林愛香が語るAqours、そして個人の夢

引用元はほとんどこちらなのでこちらを読んでください。

君を守りたい


TVアニメ『クイーンズブレイド リベリオン』EDテーマシングル収録曲「君を守りたい ~Naked Remix~」試聴用PV
事前に少し聞いた程度ですが、クール系の曲を歌うあいきゃんというイメージでした。
この曲の発売は2011年3月。それから8年です。

多分このころは(失礼ですが)今とは比べものにならないくらいの知名度だったと思うし、もしかしたら歌われることなどなかったかもしれない。
この舞浜アンフィシアターという地で真っ赤な*1光の海の中、2000人の大観衆の前で小林愛香としてこの曲を再び歌えるということに凄く感動してしまいました。だって、8年前ですよ。8年前この曲をこの観衆の前で歌うということはきっと想像してなかったんじゃないかなと。それが「ラブライブ!サンシャイン!!」との出会いによってもう一度歌うことができた*2

「この出会いがみんなを変える」

そう思うと涙が止まらなくなりました。後のMCで分かることですが、どうやらこれが初めての披露だったとのこと。

「小さい時から歌うのが好きで、踊るのが好き。もともと安室奈美恵さんに憧れていて、いつか安室ちゃんのようになれたらと、気づいた時には歌手を目指していました」


小林愛香さんと言えば(先の記事にもある通り)安室奈美恵さんのファンであることは有名ですが、この歌ものすごく安室奈美恵ぽいんですよね。津島善子(CV:小林愛香)のソロ曲「in this unstable world」と比べても「君を守りたい」の方が遥かに安室奈美恵ぽいと感じます。この曲にはあいきゃんの安室ちゃんへの憧れが感じられます。


ラブライブ!サンシャイン!!」の1期の挿入歌である「MIRAI TICKET」という曲にはこんな一節があります。

「憧れ」抱きしめて 次へ進めば
僕たちだけの新世界が きっとある
AqoursMIRAI TICKET」より


「憧れ」はあくまで次に進む時に抱きしめるもの。
つまり「憧れ」は目指すべきゴールへの道筋でもないし、決して着地点ではない
「憧れそのものになること」じゃなくて「憧れをヒントにしながら自分の道を進むこと」。 だから、「憧れは地図じゃなくて持ち歩くコンパス(指針)」なのでしょう。


「君を守りたい」は勿論曲はかっこいいのですが、「憧れ」が強すぎるあまり「憧れになろうとして束縛されている」ような印象を受けます。憧れに「なる」ための方法を模索している感じ。この点がすごくラブライブ!サンシャイン!!1期のAqoursとμ'sの関係に近くて、「MIRAI TICKET」を思い出してしまいました。
だから、この歌を聞くとかっこいいとかそういう気持ち以上に僕はすごく胸が苦しくなります。良くも悪くも8年前のアニソン歌手・小林愛香だなと。

デビューから1年後の2012年にはシングル『future is serious』もリリース。しかし、その後数年は歌手として目立った活動はなかった。
小林いわく「やりたいのにやれない。自分の中ではくすぶっていた時期」


こう書くとまるでこの曲を否定しているかのようですけど、曲はとてもかっこいいしあいきゃんの歌は当然のようにお上手なので、帰りの電車でエンドレスリピートして感慨に浸るくらいには好きです。ただ、それとは別に苦しい気持ちになるという話です。

A.N.D.

OPと一番最後に流れた曲で今回のイベント用のファン向けの曲でした。
ダークでかっこいい「君を守りたい」とは全く違って、「ラブライブ!サンシャイン!!」を経て得たものを存分に生かして「可愛い/優しいあいきゃん」に振り切った曲でした。

「自分がいろんな声が出せることがわかりました。
それまで歌った歌はクール系で、アイドルチックな歌が自分では得意だと思っていなかったんです。 そんな声が出るとすら思っていなかったので」


自分ですら気づかなかった自分の美点に気づいた後の「あいきゃんの現在地」を感じられて良かったなぁと思います。

Aqours関連の曲だと「ハジマリロード」の歌声に近い感じ。

横浜アリーナには、出演したアーティストの名前が刻まれているんですけど、
そこに安室ちゃんの名前がある。そして私たちの名前も刻まれるのだと思ったら嬉しくて。
そして東京ドームでのライブに紅白。安室ちゃんの軌跡を辿っているんですよ」

ただ、小林さんが今持っているのはまさに「コンパスとしての憧れ」なんだよなと感じます。
辿り着くまでの道は決して安室ちゃんと同じではないどころか全く違う。けどそれで良いんですよね。

おわりに

推しではない私がこの記事を書くのは不遜だって言っていたのは伝わりましたかね。
端的にいえば、小林愛香さんのイベントなのにラブライブ!サンシャイン!!の話ばかりしてるんですよね。
今回のファンミのセトリにはラブライブ!に関連する曲が1曲もありませんでした。
小林さんは思った以上に「Aqoursのない小林愛香」を考えていたのかもしれません。
しかし、私のこのブログの内容は見ての通りラブライブ!サンシャイン!!と決して切り離さず「君を守りたい」とか「A.N.D.」の話をしてるんですよね。やっぱりこの記事は不遜だなと思います。すいません。

あと、やっぱり自分はあいきゃんに歌ってほしいなと思いました。
小林愛香さんの終演後のブログで引用すると、

わたしは歌うことが
本当にすきなんだと改めて実感しました。
小林愛香 Official LINE BLOGより

いつも概念的な話ばかりしてしまうのが良くないのですが、
実際のところ歌うあいきゃんはとても好きでダンスもかっこいいし今後も応援していきたいと思います。
Body feels EXIT」とかダンスナンバーを歌ってる時のあいきゃんは本当にかっこよかった。
あと全く書かなかったけどトークパートのグッズを使った無茶ぶりが面白かったです。ペンライトを鉢に刺すやつとか。
これからも機会があれば見にいきたいなと思いました。

おまけ(参考)

in this unstable world


【試聴動画】「ラブライブ!サンシャイン!!」TVアニメ2期Blu-ray第3巻特装限定版特典CD③「in this unstable world / Pianoforte Monologue」

ハジマリロード


【試聴動画】セブン-イレブン・セブンネット限定CD付劇場前売券収録曲「ハジマリロード」

*1:「and」のイメージカラーが赤なので会場は真っ赤でした

*2:勿論、当人がオーディションに通るほどの実力、才能、能力を持ち合わせているからであって全てがラブライブ!サンシャイン!!のおかげ、なんて言うつもりはありません