「好き」の力信じて

「好き」の話をします。ラブライブ!、石原夏織、アニメ。

虹と紙飛行機〜Aqours 5th LoveLive! Next SPARKLING!!感想〜

2019年6月8日、メットライフドームAqours 5th LoveLive! Next SPARKLING!! day1のアンコールだった。私はアリーナ席で連番者と話していた。話していたのは他愛もないことで、「セルコンびっくりしたし熱かったね」とか「ネクスパまだやってなかったら終わりだと勘違いしちゃうね」とかそういう話をしていた。
お決まりのAqoursコールをしたり会話したりしていると、周りが少しざわざわした。
近くの人が「みてみて!」と隣の連番者と思われる人に言っているのが聞こえた。キャストはまだ出てきていない。むしろステージではなく、横や後ろをを向いて言っている。
割れんばかりのAqoursコール。3rdからの定番である。そのAqoursコールが何かあったのか?どういうことだろう?そう思って取りあえず近くの観客が見ている横側を振り向いた。


私は虹を見たのだ。
確かに間違いなく雨の後にかかるあの"虹"を見た。

この虹はアンコールが始まったAZALEA*1の「卒業ですね」でも崩れなかった。本来ユニット担当のキャラクターの色で埋まるはずの会場。アリーナは確かに赤緑黄の色とりどりだったが、スタンドは虹の形を保っていた
それどころかアンコール3曲→幕間映像→Next SPARKLING!!→最後の幕間まで全てずっとスタンドの虹は虹を保っていた。

とても普通の反応とは思えない。ユニット曲が始まったらそのユニットの中の推しカラーで埋め尽くされるのが普通で、特にアンコール3曲目のCYaRon!「サクラバイバイ」はトロッコ曲で本来ならそこに来たキャストの色に変えて振るのが自然な反応である。例えば2nd Liveでのこの画像のように。

ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 2nd LoveLive! HAPPY PARTY TRAIN TOUR Blu-ray/DVD 【ダイジェスト】「地元愛♡満タン☆サマーライフ」*2より

でも各々がいきなりその場で与えられた役割を保って色を変えなかった。その当人に虹であることにどんなメリットがあるかと言えば、ハッキリ言ってしまうとあんまりない。そこにあるのは意識か無意識か美しさを保つための意志だけだった。

一人でも違う色を振ると虹は虹とみなせなくなるかもしれない。そういう危うさもあったし、前述の「サクラバイバイ」のようにキャストとコミュニケーションを取れる権利であるはずなのに権利をわざわざ放棄してまで虹になることを徹したのだ。
これはルールでもレギュレーションでもマナーでもない善意だったように思う。その意味において本当にただ美しい空間だった。
(補足)
2日目はアリーナの一番後ろだったのでスタンド最前の挙動は良く見えましたが「サクラバイバイ」で1日目に思っていた以上にはキャストに振っていたので勘違いかもしれません。ただし、先に述べたようにその反応がむしろライブを楽しむ上では「自然な反応」だと思っていて、いわゆるトロッコ当たりの座席を引いてキャストに振ってもらえる可能性があるというのは権利な訳でそれを放棄しろというつもりはありませんし、キャストに振ることに関して批判するつもりもありません。また、少なくとも最前付近より後ろは虹を保っていたのは2日目もみられたという点ではやはり美しいと思います。


「10人目」が美しさにこだわったならAqoursも美しさにこだわったライブだと思う。
今回はアンコール以降のセトリの話をしたい。

EN01. 卒業ですね
EN02. Guilty?Farewell Party!
EN03. サクラバイバイ
(この3曲を「卒業ソング」と呼びます)
幕間1
EN04. Next SPARKLING!!
幕間2

構成の変化

まず1st〜4thの構成から大きな変更があった。
今回のライブ構成で今まで変わった事といえば、 「キャストのMC」「告知」を今まではアンコールの最後の曲の前に置いていたのに対してアンコールの外に置いた(前者はアンコールの最後の曲に、後者は5/30の生放送にて告知していた。)。
この二つの共通点は「ライブの外へ向ける要素」である点で、今回その二つをアンコールから外した。

要はアンコールに(幕間を含んだ広義の)アニメライブ以外の要素をなくしたのである。

その効果は"キャラクターとしての"Aqoursの「卒業」を意識させることであった。
「10人目」に向けた卒業式の意味合いがあった。普段は「10人目」という言葉にそんなに肯定的ではない私だが、今回のライブに関して言えば「10人目」の存在は必須であったように思う。

卒業ソング

卒業ソングについてだが、当初ユニット曲だから真ん中くらいに流れるのだろうくらいに思っていたのだが、アンコールというライブの終わりに使われることでキャラクターが卒業することを強く主張している。
卒業ソング3曲では、等身大のAqoursのキャラクターたちがユニットとして卒業について思うところを述べている。
彼女達は3年生が卒業すること、そして時が過ぎていくことを決して否定しない。これは「WATER BLUE NEW WORLD」*3や「Brightest Melody」*4などの楽曲にも現れている。
その時の流れの中で卒業していく。

幕間1

まず幕間1では劇伴「Everything is Here」が流れ、映画ではおなじみの無くならないよの下り使われる。
Aqoursはなくならない」という言葉は無くなる可能性が全くない時にはわざわざ使わない言葉で、"あたかも"なくなりそうに見える時に「なくならないよ」と使うはずである。
また劇伴の「Everything is Here」は「全てはここにある」という意味で、これは果南が千歌の胸を指刺して「ここにあるよ」というシーンや学校の前で「全部ここにあったんだ!」という千歌のシーンと重なる。つまり、「すべてはここ(胸の中)に残っている」ということである。
二つを組み合わせると、「私たちはいなくなるように見えるけど、胸の中に残っているからなくなりはしない」ということになる。

Next SPARKLING!!

前提(10!を叫ぶか?)

「Next SPARKLING!!」前の幕間の最後はいつもの号令をして始まる。いつもの光景、映画でも何度も見たシーンだった。
しかし、一つ私には違和感があった。
「9!(鞠莉)」から「聞こえた」のセリフの間が映画より少し長い気がするのだ。
ライブで「10!」を叫ぶ余地があるのかどうか?(私は叫ぶつもりはなかったが)については個人的に気になっていて、ライブの前の週に映画館で該当シーンを確認していた。
その時に感じたことは「『10!』を叫ぶ間はそもそも物理的に存在しない」ということであった。
しかし、今回は「10!」を叫ぶための"間"が存在した。そういう風に思える。*5
以後の話はAqoursが"間"を空けてくれたという前提でみんなで歌うのはどんな意味があるかのお話。

歌について

「Next SPARKLING!!」は、映画において3年生がいなくなっても心は一つであるということ、そしてその3年生の想いは残っているから新生Aqoursの始まりの歌だった。しかし、映画において9人だったように見えるものも、ライブで「10人目」が内包されているとなると以下の通り意味が変わってくる。

映画→3年生はいなくなるように見えるけど、1・2年生の心の中に残っているから新しい輝きを目指せる
ライブ→ アニメのAqoursはいなくなるように見えるけど、10人目の心の中に残っているから新しい輝きを目指せる


ライブではもはや最後の曲を一緒に歌うということは定番となっているのだが、今回は同じ曲を一緒に歌うことでより「10人目」を意識したメッセージ性のある曲となった。一つ例をあげるならば以下の歌詞だろう。

止まらない 止まらない 熱い鼓動が
君と僕らはこれからも つながってるんだよ
「Next SPARKLING!!」より

この「君」は「3年生」であって「僕ら」は「1・2年生」であったのに対して、ライブでは「君」は「10人目」で「僕ら」はAqoursと意味が変わる。また、我々も歌うとこの「君」と「僕ら」は逆転する。つまりお互いが繋がっているということを双方向で確認している歌になるのだ。
この歌詞で言えば、これからも繋がっているんだよとをAqours"約束"したということだ。

幕間2

二人の少女と10人目

ここまでは「10人目」の存在を前提としていることについて確証は持てなかったがここの演出で確信した。

最後の幕間では映画の最後のシーンが意図的に"間引かれた"形で映された。

ライブでは「Next SPARKLING!!」が終わった直後にいきなり「Aqours」の文字を書くところから始まる。

逆に映画では、Aqoursに憧れる女の子二人が内浦の砂浜に来て「聖地だよ!」とはしゃぎながら「私も高校生になったら(Aqoursのように)スクールアイドルをやって輝きたい!」と言いながら砂浜に「Aqours」の文字を書き始める。

この「二人の少女」が消されていることでAqoursの文字を誰が書くかは明示されていない。
だけど、この場にいるのは「10人目」だけであり(「Next SPARKLING!!」の終わりにはキャストですら舞台から降りてしまうのでステージには誰もいない)、「10人目」が映画における「二人の少女」のような役割を果たしていると考えられる。「10人目」と「二人の少女」の共通点はAqoursに魅せられている点。その魅せられた気持ちの表れが砂浜でAqoursという文字を書く行為にあたる。
実際「10人目」が内浦の海岸という"聖地"に行ってAqoursという文字を書くことは「二人の少女」が行ったように日常的に行われている。
ここで映画と文脈は全く同じではないものの、「10人目」と「二人の少女」がリンクする。

紙飛行機

そして、最後にどこからかやってくる紙飛行機。
最後のAqoursと書かれた文字の横には紙飛行機が置かれている。
紙飛行機を飛ばす行為とは物語においてどのような意味を持つのかから考えていきたい。
私は以前から紙飛行機を飛ばす行為とは、「意志ある挑戦」を示すのだと思っている。
その理由をまず紙飛行機の性質と機能を説明し、そしてラブライブ!サンシャイン!!という作品においてどのような意味合いを持つのかを考えてみよう。

☆紙飛行機の性質
まず紙飛行機は自然にできるものではなく紙から人の手によって作られる。
つまり紙飛行機は"人の意志"をもって作られるものである。

☆紙飛行機の機能
紙飛行機は"飛行機"と名の付く以上移動する。移動する物体には必ず移動の向きが存在する。紙飛行機の場合、移動の向きは飛ばした人によって決められる。
つまり、紙飛行機は飛ばした人が飛ばしたい方向に飛ぶ。つまり必ず紙飛行機には向きと目的地が存在する。

ラブライブ!サンシャイン!!における紙飛行機
紙飛行機は思うようには飛ばない。風や空気抵抗によってすぐ方向が定まらなくなる。むしろ風にうまく乗れば思いもしないほど飛ぶ時もある。
紙飛行機を飛ばす行為は挑戦することを意味する。
つまり、何かに挑戦することに多かれ少なかれ外圧があることを示しており、必ずしも自分の思い通りにいかずうまくいかないことを示している(実際に映画の冒頭で幼い千歌は紙飛行機をうまく飛ばすことに失敗している)。
でも紙飛行機は飛ばなかったらすぐ手元に落ちる。
f:id:ashika_ouou:20190616120618p:plain 手元にある紙飛行機を拾ってもう一度飛ばすという行為のリスクは少ない。
何度でも紙飛行機を飛ばせる、つまり挑戦できるということだ。
挑戦に足踏みする人間に対して「意外と紙飛行機を飛ばす行為のように挑戦することのリスクは少ないかもね」と言っているように思える。紙飛行機の例えについて考えるとき毎回私は「勇気はどこに?君の胸に!」を思い出す。

何度だって追いかけようよ 負けないで
失敗なんて だれでもあるよ
夢は消えない 夢は消えない
勇気はどこに?君の胸に!」より


紙飛行機になぞらえるならば、
「紙飛行機を飛ばすことが失敗することは誰でもある。だけど、失敗した紙飛行機は手元にある。だから紙飛行機は手の届かない所に飛ぶまで何度でも飛ばすことが出来る。飛ばすのを諦めるその瞬間まで手元にある紙飛行機の存在は消えない
ということになるだろう。

前置きが長くなったが、更に限定して今回のライブにおける紙飛行機について述べたいと思う。
今回の紙飛行機は2期12話で千歌の元から飛んで行った紙であると推測される(実際、この紙飛行機がどんな紙飛行機かについて精緻に考察している方がいるので紹介させていただきます)。

合計11回登場している紙飛行機ですが、分類してみると実際には3種類の紙飛行機が劇中に存在していると考えられます。

紙飛行機の話 - ぶブログ


こちらの記事のとおり、アニメの中に出てきた紙飛行機は3種類あり、そのうち今回のライブにおける紙飛行機はⅢの2期12話「光の海」で千歌が飛ばした「0」の紙と同じである。

ここで二つの疑問が生まれる。
1.何故、紙飛行機が無地ではないのか?
2.何故、2期12話「光の海」では紙だったものが紙"飛行機"になっているのか?

まず、何故無地の紙飛行機ではなくて「0」の紙飛行機が飛んで来たのか。
この「0」の紙がAqours固有のものだからだ。


千歌(Aqours)の根底には1期8話「くやしくないの?」における東京スクールアイドルワールドという大会で「0票」だったことの悔しさがある。「0」という結果を突きつけられたこと、この紙が"事実/過去"だとするならばその紙を見てどのような方向に向かっていくか?(千歌の"方向"は「0」を「1」にしたいでした)を示す紙飛行機は"意志"である。

また、"紙"ではなく"紙飛行機"なのは、伝えたいのが"事実"ではなくて"意志"だからだと考えられる。
千歌が飛ばしたのは紙で、その時点で千歌から離れているので、それを紙飛行機にするという描写は存在しない。

でも紙飛行機を"意志"と捉えるならば、どこに飛ぶか分からない紙より、明確な意志を持って飛んでくる紙飛行機になる方が自然である。
(紙が紙飛行機になる瞬間についての根拠がないから少し甘いかもしれません。そもそも元となるサンシャインの映画で「なぜ、最後のシーンは紙飛行機になっていたのか」というところから考えなければならないと思います。ただ、私としては「意志を具現化したら紙飛行機となった」以外の理由はないのかなと思います。)

では結局この紙飛行機はどんな意志を伝えたかったのか?
まず、映画において紙飛行機はAqoursの文字を書いたすぐ横に飛んでくる。
これはAqoursの意志を受け継いで、「私もAqoursのように輝きたい」という二人の少女に向かって「次はあなたが(スクールアイドルを)やる番ですよ」と伝えていると解している。
しかし、今回のライブにおいては映画とは違って、その紙飛行機は「10人目」しかいない場に置かれている。このライブの観客は別に「スクールアイドルをやりたい!」という人だけではないだろう*6。だからもっと一般的な話で、「次はあなたが夢を叶える(又は挑戦する)番ですよ」というメッセージだと思っている。

残るのはAqoursの文字と紙飛行機だけ。「あなたはどうする?」とまるで「10人目」に聞かれているかのよう。Aqoursが飛ばした紙飛行機に触れるかそれとも無視するかも「10人目」に委ねられている。でも、「あなたがもし何か挑戦するなら私たちの挑戦を思い出してほしい。すぐ近くにあるから。」と紙飛行機を置いてくれている。アニメのAqoursとしての最後のささやかな後押しである。挑戦を厭わない、だけど「必ず出来る」なんて言わなくて、その背中を押してくれる。とてもAqoursらしくて美しい終わり方だなと感じる。

君の夢を教えてよ
「Jump up HIGH!!」より

どこかから飛んできたこの紙飛行機は内浦の海岸で止まる。「意志ある挑戦」を続けたAqoursが一つの着地点に辿り着いた「軌跡」の一つの終わりを示すのだろう。少なくともAqoursの意志を乗せた紙飛行機はAqoursの元を離れて止まったのだ。卒業も併せて一つの区切りを表すのであろう。

最後に〜虹がかかるということ〜

「10人目」は「美しさ」にこだわり、虹をかけた。
Aqoursも「美しさ」にこだわり、今までのライブと構成を変えてまで卒業と紙飛行機のメッセージを伝えた。
思い思いのカラーのペンライトを振るほうが簡単なのに。
今までと変わらない構成にするほうが絶対に楽なはずなのに。
Aqoursも「10人目」も予期していなかっただろう卒業と虹。"奇跡"であった。
私は"奇跡"という言葉があまり好きではない。なぜなら、物事を"奇跡"と呼んでしまうと誰かの努力をないがしろにして突然あたかも外生的にその物事が生じたかのようなニュアンスに捉えられてしまうからだ。それでも誰も予期しなかったコンビネーションは"奇跡"と呼びたいなと思う。

「奇跡は起こるのかな?」
「私、思うんだ。奇跡を最初から起こそうなんて人いないと思う。ただ一生懸命夢中になって、何かをしようとしている。何とかしたい。何かを変えたい。それだけのことかもしれない。だから!起こせるよ、奇跡。私たちにも!」
「起こるかな、奇跡!」
「起こるよ!だって…だって…!虹がかかったもん!
(君のこころは輝いているかい?が流れる)
どっちにするかなんて選べないし、どっちも叶えたいんだよ。だから行くよ!諦めず心が輝くほうへ!」
アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」2期3話「虹」より

虹がかかったことは2期3話においては奇跡が起こることの理由づけにされる。 しかし、この奇跡が起こる理由づけは全く持って論理的ではない。
要は奇跡が起こる根拠なんて最初からないのだ。これは単なるおまじないで、信じるための後押しである。

実際アンコールの虹はライブの演出やシナリオの外にあることなので、この虹には示唆も意味も本来はない。そんなことは最初から分かっている。
だけど、みんな大丈夫だ。だって虹がかかったもん。と言える気がする。
分からない未来に対して、虹というおまじないがこう思わせてくれたのだ。

パンフレットには虹色の紙飛行機の背に虹が映っていた。虹色の紙飛行機は、虹を越えてまっすぐ空高くそれぞれの道へ飛んでいく。
そしてきっとそれぞれの色でそれぞれの道へ虹からは見えなくなるほど高い所まで飛んでいくのだろう。

一つの区切りは永遠の別れではない。別れの次に待っているのは出会いである。
卒業したのは"アニメAqours"であって"リアルAqours"の活動は続いている(浦ラジやニコ生、CDなど)。コンテンツを畳んだ訳では決してない。
だけど、今まであった"アニメAqours"が卒業するのは寂しいのも確か。
そんな寂しさを抱えながら、私たちは「全てがここにある」というメッセージを受け取り、Aqoursが残した紙飛行機をそれぞれの手に取って飛ばすのだ。
寂しさはあれど、区切りとしてはやはりとても美しくそして温かいライブだったなと思えた。
伊波杏樹さんのMCでもあったが、また会える時のために「好き」を続けること、また会うための「場」を残すことが大事なんだと思う。「会いたい」と思う限り「好き」で居続けること。「好きだ」と声にすること。とても難しいが、それが私たちに求められていることなのだと思う。

*1:ユニットカラーがピンク、キャラクターのカラーが赤緑黄

*2:https://www.youtube.com/watch?v=OA_3A_BhloU

*3:「時は今日も過ぎていく止められない」や「ずっとここにいたいと思ってるけどきっと旅立って行くって分かってるんだよ」

*4:「だけど先に道があるいろんなミライ次のトキメキへと」

*5:実際のところこれは他の人よりは少し新しい記憶というだけで曖昧な記憶を論拠にしています。物理的な余地がないように思えたと述べましたが、物理的余地について検討するならば、例えば応援上映で「10!」を叫んでいたかとかの方が論拠になるかもしれませんね。「太陽を追いかけろ!」のように「10!」の間はあまりないように感じられるのに「10!」を叫ぶパターンだってあり得る訳ですし

*6:勿論伊波杏樹さんや大西亜玖璃さんのように、実際にラブライブ!シリーズが好きで憧れ、本当にその好きの思いから「スクールアイドルになる」という夢を結実する人もいるのだが、大半はそうではないだろう