「好き」の力信じて

「好き」の話をします。ラブライブ!、石原夏織、アニメ。

映画「天気の子」感想(ネタバレあり)

※ネタバレをします。視聴していない方は視聴後に読むことを推奨します。
※筆者が見た新海誠監督の過去作品は「言の葉の庭」「君の名は。」のみです。

先々週「天気の子」を見てきた。とても良かった。
君の名は。」はそこまで好きではなかった(むしろその後に見た「言の葉の庭」が良すぎて驚いた)から特に期待はしていなかったし、序盤はふ〜んと思って見ていたのだが、中盤以降はその世界観に引きこまれていった。

何が良かったんだろう?というのを自分の中で3点に分けて整理してみた。

1.ふたりの世界

陽菜と帆高はふたりの世界を見出した。

まず陽菜サイドから見ていこう。
多分、彼女にとってマクドナルドの仕事は価値がないもので、働く意味を見出せなかったのだろうと思う。*1

それでも働くのは凪を守らなければならない、自分が凪を守らなければならないという陽菜の「大人の顔」なのだろう。
陽菜がマクドナルドで働く姿、お金を求めて水商売に行く姿は仕事に生きるため以上の意味を考えられない大人への皮肉かもしれない。

しかし、そんな陽菜は帆高と出会うことで変化があった。
「晴れ女」という当初オカルトでしかなかった存在に価値・意味を見出し、信じたのは帆高だった。
自分の意味を見出せたからこそ、「晴れ女」という仕事が楽しかったのだと陽菜は語っていた。
その点、帆高にうさんくさいオカルト・非科学的なものに携わる仕事をやらせたのはとてもよくできているなと思う。

帆高からみたらどうだろうか。 帆高は当初、生活費を稼ぐための陽菜が生活費を稼ぐための手伝いをしたかっただけだった。
「晴れ女」という仕事をしたことで楽しさを見出したのは帆高も同じだった。

「明日の天気が晴れてほしいか?」と陽菜は消える前に問う。
当初正しく答えられなかったこの問に対して帆高が正しく答えることが出来た時、帆高にとって陽菜は特別だと分かった
もはや帆高にとって陽菜の存在理由は「晴れ女」だからじゃない。彼にとってただ必要、特別だからだ
帆高と陽菜だけの世界は、大多数の人間が存在する世界ではなく、二人だけの世界だ。

個人的にはラブコメディ*2において条件が外れる(無条件の愛になる)瞬間がとても好きで、「天気の子」はその点をよく描けているなと感じた。ラブコメディ的な面でも質が高い。

2.「晴れ女」の代償

しかし、「晴れ女」とが晴れを祈る行為は、世界を晴れにし、人を笑顔にし、帆高と出会えてといいことずくめ…という訳ではなかった。
「晴れ女」が無理やり世界を晴れにする行為は、世界のメカニズムに歪みをもたらしていた。
最初、帆高が船の上で落ちそうになるシーンや急に男子高校生の目の前で水が落ちてくるシーンの通り、晴れた分どこかで雨が降ってくる。
「晴れ女」が祈るという行為は、自分の周りを晴れさせることはできるが、その代償としてどこかで強い雨を降らせる。

そして、晴れ女には「運命」がある。晴れ女は天気を晴れにする代償として、世界を晴れにするために消える。

雨を止めるためには、晴れ女が生贄になるしかない。
それは雨が降るのと同じ「定め」である。世界の晴れか陽菜という一人の女かの二択を迫られていた。

帆高は陽菜を選んだ。理由は単純で、世界の晴れ"なんか"より陽菜が大事だから。 この世界のメカニズムを理解しているのは帆高だけである。*3
世界を背負いながら、その選択を責めるものは帆高しかいない。
実際に帆高が捕まって陽菜の行方を聞かれた時、「晴れ女」のメカニズムによって陽菜が消えたことを説明した。
しかし、「大人」そして力の象徴である警察はその説明には意にも介さず、むしろ精神鑑定が必要かもしれないと述べていた。

天気の子が面白いなと、この作品のとてもいいところだなと思ったところの一つがこの代償だった。
「晴れ女」の行った行為は決して世の中をよくすることではなかった。自分の目に見える周りだけだ。
マクロに見れば自分の見えない場所では歪みが生じ、必ずデメリットが生まれている。
世界の誰かが幸せになるということは世界の誰かが不幸になるかもしれないということ。
そんなリアリティを感じて面白いと思った。

3.因果と選択

エピローグ。

さて、帆高は陽菜を選び、世界を捨てた。本来晴れの生贄になるはずだった陽菜を救ってしまった。
その代償として、雨が降り注ぎ東京は沈み、変わってしまった。
東京が沈んだのは自分の選択が原因だと、東京が沈んだことと晴れ女には因果関係がある、帆高は思った。

…本当にそうなのだろうか?
そう疑問を呈するのは、須賀であった。
世界は最初から狂っていた。だからこうなるのも当たり前なのだ。そう彼は言った。
富美だって沈んだ故郷を見て数百年前の江戸を引き合いに出して、東京は元々は海だったのだと受け入れている。
「運め」とみなして理不尽な世界でも受け入れる。それがこの作品における「大人」のあり方だろう。
その意味において、3年後の世界を描いたエピローグの須賀は良くも悪くも「つまらない大人」になっていた。

確かに、因果関係の成立を判定するのはとても難しい。

昔話ならば悪役を倒して世界に平和が戻るけれど、現実世界はそんなにシンプルじゃないことを皆が身に沁みて知っている。
新海誠監督インタビューより


新海監督の言葉を借りるなら、結果の原因を一つに定められるほど世界はシンプルじゃないのだ。

例えば、地球温暖化
本当に二酸化炭素のせいと断言できるのだろうか?
地球温暖化には今は周期的に気温が上がっているだけで二酸化炭素は関係ないという意見もある。

そもそも温暖化しているのか?ということにすら疑問を抱くものもいる。
神社のおじいちゃんが話していたように、人間が気温を観測して最高/最低気温などの気象データを収集したのはわずか100年かそれくらい。地球の歴史は46億年あると言われているのに100年の観測史上最高/最低気温と言われても46億年の中でどうなのかは分からない。そんな短いサンプルでは普通も何も分からない。そもそも普通って何?

私は地球温暖化の話がしたかった訳ではなく、これだけメジャーで多くの人が信じているであろう地球温暖化という一般論ですら異を唱えるような意見があるのだ。
だから、沈んだ世界にも様々な見解があるのだろう。
世界が沈んだ要因は必ずしも帆高が「晴れ女」を救ってしまったからだとは限らないのだ。
「晴れ女」の存在はそもそも「世界」にとっては「オカルト」だから誰も信じてはいない。
そのことは先ほどの警察の話でもそうだ。「大人」に「晴れ女」の話しても責任能力のない人間*4だと思われるだけだ。

そんな話を聞くうちに、帆高は大人から否定された自分が見出した因果関係を信じきれなくなっていた。

因果をあっさり否定され、自分達の選択の意義を考え直す帆高。 もしかすると自分が「大人」にあらがってまで救った「晴れ女」には意味はないのかもしれない。
自分の選択と東京が沈んだことに因果関係はないのかもしれない。

3年間会ってない陽菜に対してなんて声をかけよう、「君のせいじゃない」と声をかけようかな。
迷いながら最寄り駅を降りて陽菜の家までの途中に出会ったのは天気に向かって祈る陽菜だった。

だから大丈夫だと。

…物語はここで終わっている。
陽菜がなぜ祈っていたのか?
習慣なのか?それとも、帆高が来るからなのか?何なのかは私には一瞬読み取れなかった。

だけど、祈る姿を見て帆高の迷いはなくなった。
少なくとも帆高は「大丈夫」と保証したいと思ったのだ。

取るに足らない 小さな僕の 有り余る今の 大きな夢は
君の「大丈夫」になりたい 「大丈夫になりたい」
君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての「大丈夫」になりたい
RADWINPS「大丈夫」

最後に流れるこの「大丈夫」の歌詞でいう「大丈夫」というのは君に対する肯定のことなのだと思う。

この肯定は他者から見たらとても醜く悲劇のヒロインぶっていてダサくて、青臭いし妄想でしかない無意味なのかもしれない。 でも、二人にとってそのダサくて無意味なことにこそ意味があるのだと思う。
外の世界の影響を受けず、その意味を見出すのも自分である。
自分が世界を沈めてしまった、そう考えるのは非常に重い。
誰にも責められることなく自分が「世界」の責任を負っている。
とても苦しいし決して賢くはない。
だけど、自分達のやってきたこと、出会いをなかったことにしないため、この苦しい選択をするのだと思う。

やりたかったのは、少年が自分自身で狂った世界を選び取る話。
新海誠監督インタビューより


4.おわりに

「天気の子」について3つの観点から述べた。
ファンタジーなのに所々が妙にリアルで、結末は全くもって世界のハッピーエンドではない。だけど、二人の中に残るのは抗いの証。天気に祈ることを忘れてはいなかった。
だからこそ帆高の選択が映えるのだと思う。

君の名は。」が社会現象となったから、適当に感動して映像で殴る感じの全年齢層狙いのハートフルラブストーリーにしてやろうとかそういうのだったら嫌だなあと思っていた(こんなことを1mmでも思ったバカは私だけかもしれない、こいつ分かってねえな…)。

むしろ蓋を開けてみれば、舞台が新宿歌舞伎町だったり最後の舞台が池袋のラブホテルに未成年で泊まったりとインモラルで小学生には厳しくない?という内容だった(それでも、過去作品のファンから見れば新海誠が一般受けを狙っているという見解もあるらしい。)*5

この作品について述べている時、何度か「大人」と「子供」という言葉を使った。本作品の根底にある考え方はそういうところにあると思っている。
「子供」という言葉には社会(の常識)を理解しておらず、それゆえ「社会」に抵抗し自己中心的な行動をとる。そんなニュアンスなのだろうと思う。

帆高と真に対立する価値観があるんだとしたら、それは社会の常識や最大多数の幸福なんじゃないか。
新海誠監督インタビューより


君の名は。」という「社会」で大ヒットを生んだ作品の後に出てきたこの「天気の子」という作品は、「天気」のような巨大でどうしようもない「社会」へのささやかな抗いだと感じる。
きっと「天気の子」での東京の惨状と同じで完全に抗いきるのは不可能だろう。だけどその爪痕を残すことには意味があるのだと思う。

『天気の子』という作品の何がいちばんのオリジナルかというと、それは物語のセオリーから外れた(のかもしれない)物語を、夏休み興業の映画でやることだと思っています。
新海誠監督インタビューより


作品には大なり小なり生まれる文脈が存在する。「天気の子」でいえば、「君の名は。」という大ヒット作品の後であり、どうやっても『「君の名は。」が、大ヒットした新海誠監督の最新作』と言われてしまう(「君の名は。」の後の作品という意味では誰でも見うると思います) 。

社会に抗うことを選ぶ物語を夏休み興業の映画としてやること、社会における「天気の子」の文脈を踏まえてやっているのだから非常に計算高く、面白いなと感じられた。

新海誠監督、素晴らしい作品をありがとうごさいました。

*1:この部分に関しては、正直言うと分かりません。なぜなら陽菜の過去がどうだったかはあまりに描かれていないから。陽菜の過去が描かれていないのは彼女の変化を見るに当たっての情報が不足していると捉えています。多分そうだろうとは思いますが、個人的にはこの裏付けは欲しかったなあと思います。あまり作品の批判をする気はないのだけれど、今のところの唯一の不満点です。もし裏付けがあったらごめんなさい

*2:天気の子は厳密にはラブコメディではないのですが…

*3:と思ったが、夏美や凪は本当に理解してないの?という疑問はありますね?

*4:精神鑑定を行うのは刑事訴訟上の責任能力・訴訟能力を問うためにあります

*5:まあ「君の名は。」も別にインモラルではないとは言えないのだけど…。