"好き"の力信じて

"好き"の話をします。ラブライブ!、石原夏織、アニメなど。

ご報告:「動けば変わる」ということ。

5月31日に新卒から今までいた職場を退職した。
1年前、こんなに自分がAqoursにハマりそれがきっかけで自分のやりたいことを見つめ直して転職する、こんなこと想像しただろうか。まるでびっくりなプレゼントのようである。

最初に言うと、これは私と転職活動とAqoursにまつわるとても個人的な話である。だから、一般的か?有益か?と言われるとそうとは言い切れないかもしれない。
しかし、ブログとはあくまで「自己」発信のツールである。何も他人に有益な情報を流さなければならないという訳ではない。(と、同時に「発信」ツールであるから読み手の他者を想定しているのだが)

...ということで、何が言いたいかというと転職に関する有益な話はきっとしませんので、自分語りにお付き合いください。

学生時代

プログラミング

進路に悩んでいた大学3年生の時のこと。 理系の学生だったこともあり、とある会社でプログラミングのインターンをしていた。
自分の経験が欲しかったから、これを大学院生までやっていれば3年か4年やったことになるし箔(とスキル)がつくかもしれないなんて甘いことを考えていた。
しかし、実際はこの仕事では全然成果は出ず、もの凄く辛くて、1年間成果が出ないまま。
やればやるほど自信がなくなっていき、上司との折り合いが悪くインターンとはいえ仕事にいくのが嫌になっていた。
そんな中、特に無断欠勤や遅刻をしたわけではないのに、4年生の夏に告げられたのは「クビ」だった。

大学院入試

このインターンで自分の学科に関連する仕事なんて無理じゃない?と思っている僕に追い打ちをかけたのは、同じ時期に受けた大学院入試だった。
僕の学科の大学院入試は同じ研究室でも(うちのような研究室の場合)学部4年生の時は10人受け入れるのに対して大学院生になると4,5人になるといったように、まずそもそも全員が同じ研究室残れる訳ではなく、また他の研究室から来る人間もいることを考えると4年生から大学院生で同じ研究室に残れる人間というのはそう多くはなかった。
院試は見事に失敗し(失敗というよりかは自分が希望していた研究室が上層だったのに対して実力は中の下くらいだったから当然ともいえる)、割り振られた研究室は第5志望。
正直いうと、「行きたくない研究室」だった。 4年生の時にやっていたテーマに中身が一番近かったのがその研究室だが、一度その研究室を訪れた感想として感覚的に行きたくないと感じてしまっていた。
そこで、受けていたもう一つの学部のむちゃくちゃテーマは違うし興味はないけど環境は悪くないところに行くことにした。

とはいえ、研究というのは、創作活動的な(絵画や小説を書くといった類のもの)に近く、興味のないものをやるというのが非常に難しく苦しいものである(非常に乱暴に言えば、興味のない分野の研究を2年間やってくださいってのは風景書きたい人に学費払って人物画を2年間書いてくださいって言ってるようなもの)。

じゃあ何故わざわざそんな道を選んだか?
"最初から辞める気だったから"

この時点で一浪一留(+2)。
その年にすぐ気持ちを切り替えて就職する決意は湧かなくて、来年就職するぞという気でいた。
大学に残るという選択肢もあったが、+3だと就職活動はまともにできないという言説があり(試したこともないので知りませんが、実際には少なくとも応募はできる企業はたくさんあるよう)、恥ずかしながらそれを盲信していたため、門前払いと思って諦めていた。

就職活動

「早く逃げたい」

+3という絶望的なビハインドを背負っての就職活動の正直な気持ちでした。つまり、僕の就職活動は「研究からの逃げ」であった。とにかく早く逃げたい。

ここで持ち前の視野の狭さとネガティブさを発揮し、「+3でも大丈夫そうなところ」なおかつ「理系を捨てて文系就職」であるところしか受けないことを決めた。

本当に視野が狭い舐めた就職活動で説明会に行った回数も5回くらい、ましてや合同説明会みたいなものは行ったこともなく「就活」をロクにしないまま内定を貰った。いや、貰ってしまった。

もしかしたら「そんな楽に就職活動出来ていいじゃん」と思う人もいるかもしれないが、自分はそういう風には捉えていない。相当最初からシャットアウトして決めているため、それ以外の情報をここで大量の未来の選択肢を捨ててしまっていた。まあリスク回避のため大学で研究しながら平気な顔して就職活動出来るか?と言われれば…ですが。

就職

自分が入ったのはとてもブラックで有名なところで、最初からその覚悟はあって「社会人になったら自分は終わり」とか「遊んでいいのは学生時代まで」と思って働こうという思いはあった。しかし研修を経て配属されたのは何と一番の閑職だった。

これも「え、ラッキーじゃない?」と思うかもしれない。余暇のない生活を想定していていきなり閑職に割り振られるのも中々気持ちの整理は難しいものである。閑職は組織のメインとは全く別の仕事をしてるので組織のホットな話題が全くわからず、他人の仕事の話題に全くついていけないという厳しさを感じていました。また、業界ルールや人との関わりが少ないから情報を全く知らないまま過ごしていき明確に他の同期との"差"を感じていた。

また次第に自分の仕事が同期で一番暇なのではないか?そしてそれは能力がないという組織の評価なのではないかと思い始めました。

社会人ならわかると思うが、配属は選べないし、そんなすぐ異動できるものではない。いわゆる「どうしようもないもの」のである。
何とかしたいのにどうしようもない。自分が一番暇であることに強い負い目を感じていて、完全にコンプレックスになっていた。

職場では上司に気に入られ高く評価されていたし残業も少なかったので十分に休めていたはずなのに自信を失っていった。
その暇な時間にゲーセンに行ったりクイズしたりアニメ見たりと趣味に勤しんが、それとはまた別に職場に行くとそういった不安や不満と向き合わなければならなかった。
また、異動したいかと言えばそうでもない。異動しても行き着く先は「ブラック」である。幹部になった自分が楽しそうに仕事してるとも到底思えないし、いやそもそもこの生ぬるい環境の後「ブラック」にいきなりぶち込まれたら生き残れるのか。何年か続けられたとして、途中でやめたくなって代わりの就職先なんてあるのか。
もし生き残れたとしても、10年、20年、その「ブラック」から自分の中の大切な何かを奪われていくのではないか。その自己犠牲に対して得られたものは何なのか。自分はいいのか。

そんな不安が自分の頭の中につきまとっていた。そして組織の同期のうち自分は一番できない人間で、自信はない。そうやって存在しない他人と比べて日々を過ごすことによって自らを蝕んでいくのがわかった。*1普通に風邪ひきやすいとかいうレベルではなく風邪を引くようになり、しまいには休みがちになりギブアップして休職してしまった。
この時転職も考えていた。だけど、自分の中で迷いがあって具体的に活動をするほどではなかった。そんな時に休職してしまったため、転職の考えは一度消えた。

休職

僕の休職は休職にありそうなイメージの「職場に行こうとしたら体が動かなくなって出勤できなくなってしまった」というよりかは「5日通して出勤できるほどの安定性がないから一度職場から離れたほうがいい」という状態だった。

しかし、それゆえのもどかしさと罪悪感があり、元気な時も日々を漫然と過ごさざるを得ない気持ち。特に全力で遊ぶことにはかなりの罪悪感があって、何か新しいことを主体的にできるほどの元気はなかった。

その時に再び学生時代に好きだったラブライブ!に出会わせてくれたのがスクフェスACだった。
自分が休職をしたのは2018年3月上旬辺りから。昨年の海未ちゃんの誕生日とポスターイベントは休職して間もないころに始まった。

そして1年前の2018年3月15日は「ラブライブ!」というコンテンツへの再度とっかかりを作ってくれた日でした。
(中略)
まず全体のポスターと海未ちゃんは欲しい、出来るなら全キャラ揃えたいなと思ったのが「ラブライブ!」へのとっかかりのリスタートでした。
(中略)
海未ちゃんの誕生日は自分のラブライブ!との関わりは終わったんだと思ってシャットアウトしていた自分に再度ラブライブ!の魅力を教えてくれた日なのかなと思います。
園田海未ちゃんお誕生日おめでとう2019より

幸か不幸か時間がたくさんあったため、この期間にアケフェスをたくさんやることが出来た。 久しぶりに見る海未ちゃん、そしてμ'sのメンバーは可愛くてやってるうちに楽しくなっていった。

次第に最初はハッキリ言って興味がなかったAqoursにも興味を持つようになった。
ラブライブサンシャイン2期がやっていたのは2017年10月~12月。面白いアニメだったし、コンセプトもとても良かった。休職する少し前で自分の感性が死んでたからかもしれないが、あくまで好きなアニメの一つであった。
スクフェスACスクフェス5周年でスクフェスを再インストールして、Aqours熱のある大学のサークルのメンバーに沼津に連れていかれ、そうこうしているうちにAqoursやそのキャストにも興味を持つようになった。
暇を生かし、昔のニコ生を見たりして一気にAqoursへの興味を持っていった。

そんな時たまたまフォロワーの友人が3rdのチケットを余らせているということを耳にして、チャンスだと思って思い切っていくことにした。

ライブの予習の時、(当たり前だが)Aqoursの曲をたくさん聞いた。音楽の力って凄いもので、アニメを1回しか見ていない自分でも曲にどんな意味があるのか、アニメでAqoursの伝えたいことが詰まっていると分かった。アニメを見直すのはコストがかかるかもしれないが、音楽なら「手軽に」そのエッセンスを何度でも伝えてくれる。この音楽とアニメーション(や主題)の関係性がラブライブサンシャインという作品にエネルギーを貰え、僕がこの作品に強い"オリジナリティー"と愛を感じる理由なのかもしれない。

3rd LIVE福岡公演

埼玉公演を見てさらに興味を持った自分は友人の誘いで福岡公演に行くことに。
ラブライブサンシャインのメッセージが最もストレートに伝わったのが福岡公演だった。

動いてないと探せない 休んでも止まらないで
Aqours「キセキヒカル」

何もしていない状態からは、何も生むことができない。Aqoursのメンバーはだから「あがく」ということを選んだのだ。「キセキヒカル」という曲では「あの頃の僕ら(成し遂げられてない頃へのAqours)へと教えてあげたい」となっている。

変えるためには動かなきゃいけない。
そして動けば変わる。
現状に不満と不安を抱いていただけど、変える勇気のなかったこの時の僕にとって、こんなに勇気を与えられることはない。

その勇気は 君にあるよ
Aqours勇気はどこに?君の胸に!

そう、勇気は自分の中にあるのだ。

キセキヒカルという曲の持つ意味、どうして劇伴では似たようなメロディー(語弊があるかもしれない)が幾度となく繰り返されるか?という疑問が一気に溶けた瞬間であった。
その思い悩むシーンや決意を「奇跡」を起こしたいとあがいたAqoursの「軌跡」だから。その過程全てが「軌跡」として「輝いている」
過程というのは人の生き様だ。この物語は自らの在り方の「全肯定」する物語である。やっと理解した。


3rd福岡の次の日のことだった。
休み明け暇な部署に復職していたのだが、その日に人事より異動が言い渡された。その時のことである。

あなたの最初の2年間は失敗だった。次がラストチャンスだと思って頑張れ。」
「...は?」

その時人事から投げつけられた言葉は、前の日にラブライブサンシャインが教えてくれたことは全くの真逆であった。「他者からの全否定」である。お前のやったことは無駄だと。

本心じゃなくて人事として異動をさせるために発破をかける意図があったのかもしれない。それにしても普段の行動を把握していないお前に何が分かるんだと憤った。
僕はここで仕事のブラックさ以上にこうでもしないと人を回すことのできない組織体制に嫌気がさし、今後この組織とはやっていけないと思ってしまった。
僕はこの時に「辞めよう」と思った。


転職活動

2018年編

秋ごろに少しだけやったが、はっきり言うとうまくいかなかった。
理由はとても簡単で転職でやりたいことがなかった

最初に相談したエージェントは、業務内容を適当に話して性格やコミュニケーション能力?を見られてどんなお仕事に向いてるかを教えてくれる。いや、お前は占い師か何かか?
その時は向いてそうな仕事やその業界の情報など、いろいろ教えてもらっい面談後にメール1件貰ったもののイマイチ条件に合いそうなものはなく、連絡はなく。ただ、向いている職業というのが存在するということが分かって一つの自信となった。

次にアパートの一室で個人でやってるおばちゃんのところに行った。
そこで勧められて何個か書類選考を送ることにしたものの、落ちる落ちる。
何個か書類を出したもののうち一つだけ面談に行かせてもらえたので行くことに。初めての面接だった。

…しかし、その面接が最悪であった。
どういう点で最悪かというと、
1.自分が相手の会社と接点を見出せずロクに準備をしてこなかった点(この日のために1日休み取ったのに面談の準備をせず、面接のギリギリまでゲーセンにいてその後ギリギリの時間に着いた)
2.相手の会社の面接の職員の態度がでかく常に詰め詰めだった点
3.面接の受け答えもあまりにダメすぎて1時間と言われていた面接が15分だった点

もう終わった瞬間落ちたと分かった。エレベーターに送られた後、酷すぎて笑うしかなかった。
面接中に自分の気持ちも切れていて、「〇〇が強みと書かれていますが、何か裏付けするエピソードはありますか?」「ありません!」と答えてしまったり散々であった。

当然のようにお断りの連絡が来た。

当然の結果ではあるものの、そもそも転職活動してるのに何もやりたいことがなくて何もできない自分が、悔しくて、悔しくて。
ラブライブサンシャインの1期8話「くやしくないの?」を見て泣いた。
1期8話「くやしくないの?」は東京のスクールアイドルワールドという大会で「0」を突きつけられる話であった。「0」というのは全否定である、「他者からの全否定」。他者から認められない者は存在しないのと同じなんだ、そういう悲壮感をもった高海千歌をはじめとしたAqoursのメンバーの姿はとても自分と重なるような感覚がした。誰にも認識されない。必要とされていない。「0」ってそういうこと。リーダーという役割を求められるが故にその点に素直に向き合えない千歌。最終的に千歌は自分の悔しい気持ちに向き合い、「0」じゃない世界を知りたいからと彼女達はまた走り出す。

さて、自分はどうなんだろう?
まず、自分がなんで今のところに入ったかを考えた。研究が嫌だったから。理系を諦めたから。
じゃあ今のところをやめるのはなんで?
今のところが嫌で向いていないし、希望が持てないから。

...あぁ、「同じ構造」だと。

もっと言えばわざわざ東京で一人暮らしをするために大学に入った理由も、中学受験に失敗したせいで自分のコンプレックスが生まれてしまい、それを解消するために東京というほとんど誰も自分のことを知らない新しい世界に行くためだった。

自分の人生、逃げ続けてばかりだ...って思った。

きっとこのネガティブな理由だけのまま転職活動を続けても幸せにはなれない。また逃げるだけだ。そんな未来には希望は持てないと思い、一旦転職活動をやめることにした。

そして思った。ブラックなことより今仕事に居場所を感じられず、未来を描けないこと、仕事で人生のたくさんの時間を使っているはずなのに輝けていないことが嫌なんだと。

自分の輝きは組織によってではなく、結局のところ自分で定義するもの。
だから、自分の「今やりたいこと」を見つけて、その為に転職活動したいと思った。

当事者

とはいえ、そんなに簡単にやりたいことは降ってくるものではない。
今考えればこの時は毎週のようにブログを更新していたから、真剣ではなかったのかもしれない。
だけどそんな自分に勇気を与えられる出来事があった。前も記事にしたものであるがウルトラジャンプ1月号のインタビューにおける逢田さんの言葉だった。

私たちは皆さんのおかげで沢山の夢を叶えてこれたって今回思った。これからももっともっと叶えたいことがあるけど、10人目の誰かの夢を後押ししたい。日頃、色々な夢を抱えている人も多いと思うから、みんなも一緒に叶えよう!
ウルトラジャンプ2年生インタビューの逢田梨香子さんの言葉より)

僕自身は「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品を見て、曲やライブを通して「夢」を強く意識したという話は以前もしたと思いますけど、それは言葉じゃなくてライブやアニメを通してだった。タイトルの言葉を直接噛み締めた時が「まさに夢を与える仕事」の意味を体感した瞬間。これを見た瞬間「ああ、自分も頑張らなきゃなあ」と思いました。
(中略)
自分の夢を叶える者として当事者意識が強く芽生えたのはこの頃でした。
推しが活躍することを願うだけではない、推しの活躍で自らの新しい夢や目標を手に入れることも「夢を与える仕事」をする人の願いなんだと感じられました。
僕たちはそういう風に思われているのだと自覚しなければならないのだと。
「10人目の誰かの夢を後押ししたい」より

自分は「自分の人生の当事者」なんだって思えた。
とても当たり前のことだけどそう感じて生きるのはとても難しい。
自分の人生を動か動かすのは自分のみなんだ。だから、ふと歩いていたらアイディアが浮かんでくる訳じゃない。向き合って、年始からもう一度転職活動をしようと思った。そのために自分のやりたいことを年末年始で凄く考えた。

2019年編

年末年始にやりたいことを考えてようやく焦点が定まった。
だから、ファンミと映画に行きながらの転職活動・・・くらいのつもりだった。
普段はそこまで忙しくない部署だが、年始から20年に一度くらいの大炎上を経験した。
2月は電車で帰れなくてタクシーを月に5回経験とか、本当に平日は死の日程だった。

休日はイベントを最優先し、空いてる日は転職エージェントに会って求人を探す。
残った時間で面接対策したり、受ける会社のお勉強をしていた。
映画は休日の空いてる日か平日深夜のやつに行き9週目まで毎週見た。
本来忙しいアピールなんか全くもってしたくないんだが、今回ばかりは自分でうまくイベントと両立して頑張ったなと思える。
ただしその代償は勿論あってブログの更新頻度は激減したし、クイズもやめてしまった。

2ヶ月半で5社(やりたいことが明確だったためか確か書類は全通した)受けて、面接で落ちるのを繰り返しで必ずしも限られた時間を使って面接対策をしても報われる訳ではなかった。
でもそんな辛くて転職活動をやめたいなと思った時に勇気付けてくれた3つの歌がある。

変われそうだって 変われない時だって感じてるから
こんどこそ こんどこそ
ゼロからイチの扉を開けよう 変わりたいときなんだ
多分この先の未来は謎のままだね
Aqours「Step!ZERO to ONE」

この曲の歌詞の素晴らしい所は「変われないことに対して無責任ではない」ことである。元気を与えられる歌には「きっと出来る!変われるから大丈夫!」と出来たことを想像して又は現実に出来た状態を歌う趣旨のタイプの曲が多いと思うが、この曲は間違いなくそうではない。
むしろ「変われないこと」を起点としている。こんなネガティブなのに、元気を与えられる歌があるか。このネガティブさは変われない時を認めているからこそ生まれる。「こんどこそ」という言葉からAqours自身が「変わろうとしたものの変われない」ことが読み取れる。それでもゼロのままだと未来はわからないまま。だから扉を開ける(=行動する)のだということ。
私は変われない側の人間だった。だから変われない人間に寄り添ってくれるこの歌に凄く元気を貰えた。

夢は夢のようで過ごすだけじゃなくて痛み抱えながら求めるものさ
Aqours「WATER BLUE NEW WORLD」

この歌詞から浮かぶアニメのシーンは
「一番叶えたくて叶えられなかった願い」


その「どうしようもなく」「取り返しのつかない」痛みでさえも夢を求めるための一歩だった。
今自分が「辛い」と感じていることは夢を叶える一歩なんだなと思えた。

投げ出したいときこそ大きく変わるときさ
そこにきっとチャンスはあるからあったから
動いてないと探せない 休んでも止まらないで
Aqours「キセキヒカル」

「じゃあ救ってよ!」

投げ出したいとき「こそ」、変わるとき。この言葉にすごく勇気付けられた。
これはラブライブサンシャインが見せてくれたとても大胆な発想の転換だった。現実にあるのはどうしようもない事実だけで事実は変えようがない。だけど、事実を受け止める時必ず人は認識というフィルタを通すのだ。大きく変えるためにはそのフィルタを変えるのだ。
救うことは廃校を阻止することだけとは限らない、「救う」という言葉は決して客観的な言葉ではない。だからこそ、目的のための手段は一つに限らないのだ。


...そんな感じで励まされながら、転職活動を始めて2か月ぐらいの時、今度就職する会社の面接を受けることになった。

この会社、一番最初に受けて1時間の面接を15分で帰された会社と同業の別会社であった。
正直言うとその時のとても嫌な記憶があり、イメージしたやりたいことには近いものの、受ける前にはあんまりいいイメージないしどうせまたボコボコにされて落ちるでしょ~くらいの気持ちだった。

しかし、実際に行って出て来た面接官はすごく穏やかで、だけどすごく熱があって驚いた。
書類出した時点で印象は良かったのもあるだろうが(ここは実力というより運だと思う)、
そんな面接官の話を聞くにつれ「ああ、俺はここで働きたい」という思いを強くした。

業界イメージが昔の面接のイメージだったから。つまり、感じた「驚き」や「思い」は最初に受けた面接がないと存在しなかったかもしれないということ。

「今までやってきたことは全部残っている。決して0にはならないんだよ!」

あの映画のシーンが強くフラッシュバックした。あんなクソみたいな一度目の転職活動で感じた不快感ですら「0にはならないんだ」と。

その後最終面接を終え、割と穏やかな形で内定を取ることができた。

逃げださずに自分は一歩踏み出せたと思えた。

しかし、これは割と綺麗事で正直に言うと「限界」だった。
僕には辛いことですら全て受け入れ楽しめるほどの度量は無かった。
休日にイベントか就活してアテを探して平日に仕事は残業続きなのに面接を受け...られず(仕事の都合でどんなに早くても週1回・7時からくらいしか面接は受けられない)辛すぎた。もう本当に辛い。一般的に多いかは知らないが、2ヶ月半転職活動をして5社しか受けられなかった。これでも無理をして面接を入れていたと思っているので、相当活動が制限されていたように感じる。
あとは4月の後半から新人の教育役をやらされるということがあり、今日は早く帰りますも中々難しい。そうなるとまた転職活動は鈍りどんどん遅れていくだろうと思った。
なんなら、最早「空白の期間」を作ってでも、仕事をやめてやろうかと思った。東京の一人暮らしで無職というのは大変なリスクがある。それでも、仕事を辞めてしまいたいと思えるくらいには未来を感じられなかった。
新職の面接はラストチャンスというのは言い過ぎかもしれないが、間違いなく一つの区切りであった。そう思った時にやっと掴めた。

決まったという連絡は夜残業してる時に職場で受けて、本当に良かった…と。
Aqoursをはじめとしたエンターテインメントがある意義は好きな人にとって生きがいの一つになることだと思う。

Aqoursは間違いなく僕の生きがいだったし今もそうである。特にAqoursには「夢を諦めない不屈の精神」というコンセプトがある。だからこそそのメッセージが僕に力をくれ、こうやって諦めずに達成したかったのだ。ラブライブサンシャイン過程を肯定する物語だった。それでもそのメッセージを受け取った僕は目に見える結果が欲しかった。なぜならAqoursに力を貰ってこうやって新しい一歩を踏み出せたって声に出したかったから。これは僕の傲慢な我儘ででも以前からずっとあった思いだ。

りかこ、本当にソロデビューおめでとうございます。

あなたが夢を叶える姿は凄く応援したいと思えるし元気を与えられます。
これからも夢を叶えて欲しいし、そのために推していく所存です。私も色々と世の中には厳しいことが多いなと感じるところですが、私自身も凄く励まされるところがあって後押しされているなと感じます。だからこそ結果を出したい。頑張ります。
「10人目の誰かの夢を後押ししたい」より

就職先が決まった時、浮かんだ言葉はたった一つのシンプルな言葉であった。

「ありがとう」




「転職します!」とSNSで言ったとき思ったより反響が大きく、めちゃくちゃSNSで愚痴っていたためかほとんど絡んだことがない人に「凄く苦しそうだったのでおめでたい」と祝われたり、ツイッターとLINE両方で祝ってくれる人がいたり、転職先が決まった週末に昼と夜それぞれ別の人に祝われて奢ってもらったり、前の職場の上司に定期飲み会でその話を打ち明けたら祝ってくれて奢ってくれたり、自分の職場のことをよく知っている同期に「あの仕事は大変だったよね。本当に良かった」と言ってもらえたり。
なんだかたくさんの人の温かさに触れたなあと思う。
辞めるなんて勿体ない的なことは内外合わせて本当に誰からも言われなかったのは色々とお察しなんだが
何かの用事で会って直接おめでとうって言ってくれるのが凄く嬉しかった。
こんないい思いできるから毎週転職するか〜と思った。いや、嘘です。しばらくはもう勘弁してください...。
それ以外にも口に出さなくても静かに祝ってくれた人もいるかもしれません。もし読まれていたらこの場を借りてまとめてお礼の言葉を述べさせていただきます。ありがとうございました。

**
完全に余談ですが、安定って何なのか?ということは自分の一件ですごく考えた。
自分の前職は「安定した組織」であった。
でも、安定した組織に所属することは必ずしも自らの安定ではない
要は、組織の安定は自らの安定と完全に密接という訳ではないということ。
世の中、安定した組織の中で働きたいという人は多いようだが、それは本当に「あなたの」安定なのか。
組織が潰れなくても、あなたが潰れることはあるよ、というのは声を大にして言いたい。
自分のあり方がうまく定められることが最も自らの安定なんだと強く感じた。

**

これまでとこれからの話

1年前の自分はまだ休職していた。
そんな先の見えない絶望の中にいた自分がAqoursと出会って自分を見つめ直す機会となってこうやって一歩を踏み出せた。
今考えると1年前には想像もつかない人生を歩んでいる。

「仕事やめてぇ〜」
誰しも思う時はあるし、言うだけならすごく簡単である。
だけど、実際辞めるか?辞められるか?そんなに皆が皆やめる訳ではないだろう。

仕事に限らず「変える/変わる」ということはとてもとても難しくて、強いエネルギーが必要
また、エネルギー(コスト)だけでなくリスクも伴う。新しく変えることは必ずしも正しい訳ではなく、例えば転職活動だと仕事を変えたところで行く先はものすごく悲惨な会社かもしれないし、ものすごくいい会社であっても合わないかもしれない。

でもやってみなくちゃわからないのだ。

「やりたい/違う」と思った時、自分のその気持ちに抗うべきではない。このことをAqoursは思い出させてくれた。
自分は大学受験や就職もそうだが、どちらかといえば割と自分の気持ちに抗わずに過ごしてきた方であった。とはいうものの、以前に比べて年は取っているし*2、だんだんリスクを取ることを恐れるようになっていた。
やりたいことをして自分が納得をするために本当に年齢という要素は枷になるのか?いや、なるかもしれない。だけどそんなことは分からない、分からないからやる、やってみるのである。
と同時に時は待ってはくれない。無常にも過ぎていく。だから今やるのが一番価値が高いのだ。及び腰になっていた僕はきっとAqoursと出会わなかったらこの決断は出来なかったと思う。
その中でAqoursは自分が一歩を踏み出すための自分の中にしかない勇気の所在を教えてくれた。後押ししてくれたのだと思う。

僕が踏み出したのは大きな一歩なのか小さな一歩なのか正直よくわからない。
でも、少なくとも確実に一歩は踏み出していて、新しい船出であることは間違いない。
「新しい船出」というのは決して終わりではなく、始まりにすぎないのである。
だからこれからも生きていかなきゃなと思う。
好きな人たちが輝いていく姿を見ていくと同時に、自らも自らの人生の当事者として輝きたいと思うのである。
好きなものに元気を貰いながら、こうやって自分の「好き」を主張し発信しながら。

今 未来 変わり始めたかも!
だって僕たちはまだ夢に 気づいたばかり

*1:ツイッターでは当時から時折呟いていましたが

*2:取っているとは言っても転職する人の中では普通に若い方な気もするが……