ラブライブ!フェス最高でしたね。
自分の中では「ラブライブ!フェスが最高だ」という感想に至るまでの過程が存在しました。今回はそんな話をしたいと思います。
端的に言えば、この「ラブライブ!フェス」はやっぱり"自分の原点はAqoursなんだ"って改めて気づかされたライブでした。
そんなAqours 3rdからの1ファンのお話です。
先に言っときますけど別にμ'sが全くもって嫌いな訳じゃないよ。アイコン園田海未ちゃんですし。
初日
初日、抱いた感想は「フェスって難しいね」だった。
その"難しさ"の要因を分解すると曲数の制限とμ'sとAqoursの扱いの難しさだ。
まず曲数の制限だ。
Aqoursが1+5曲、μ'sが2曲+メドレー6曲。
蓋を開けてみればあまりに与えられた枠が少ない。この曲数でもし「フェス」をやるならば、どうやってもアニメのOPやナンバリングみたいな「ベタ曲」しか入れられないじゃないか。
そんな強い制約の中で、選ばれた曲の大半は「まあ、そうなるわな。」という曲だった。
そしてμ'sとAqoursの扱いもまたフェスの難しさを加速させた。
初日は予想通りμ'sがトリだった。
最後に披露されたのは「Snow Halation」だった。
UOが禁止だと事前に言われた時は特に何も思わなかったのだけど、本来禁止されているはずのUOに満ちたその光景を目の当たりにした時、とても「美しい」なんて思えなかった。
過去と今は異なる。
レギュレーションだって、μ'sだって。
そんなはずなのに、その光景はまるで「今」を強引に「過去」に閉じ込める姿のように見えて、ただ醜いなと思ってしまった。
「Snow Halation」に加えて、最後の挨拶がより自分の気持ちをより複雑にさせた。
最後の挨拶ではμ's以外のメンバーは袖から1人ずつはけていき、μ'sのみがセンターステージから9人ではけていく。
これだとまるで「μ'sが主役で他は繋ぎ」のようじゃないか。
μ'sが偉大なのはわかるけれど、「過去」を再現するために、「今」が踏み台にされているかのように感じてしまった。
とても"悔しくて"たまらなかった。
ーー
1日目を通して、自分は一つの問いかけをした。
「ラブライブ!フェス」は過去を「再現」するための場だったのか?
別にμ’sが嫌いだったり憎い訳じゃない。
僕はリアルタイムで「ラブライブ!」がμ'sが好きで、魅せられた者の一人だった。
僕がμ'sのお話を好きになったのは2014年。
アニメや劇場版は最後まで見届けたし、生放送もみていた。
大きくなっていく彼女たちを見届けていった。
ただ、彼女たちと直接会うことはなかった。
だから既にμ'sに会えることには一定以上の価値は保証されていた。
「僕らのLIVE 君とのLIFE」で「μ'sが実在する」って思ってしまったし、
その時のキャストの笑顔も脳裏に焼き付けた。
μ'sを選択したこと。その希少性から考えれば、それは間違いではないとも思った。
トリは"最後"だから1グループしか選べない。
ただそれ以外の付加要素が"主役はμ'sです!"と言わんばかりだ。
...いや、「きっとそうじゃない」と信じたかった。けれども、その疑念を拭えるほどの何かは1日目には見出せなかった。
2日目
Aqoursは1日目が1期のセトリだから2日目は2期のセトリであろうこと虹ヶ咲では推しの楠木さんの歌が確定していることもあり、個人的に曲はとてもとても楽しみだった。
曲単体は楽しみなのだが、1日目と同じであるならばその構成は個人的に受け入れられるものではなかった。
特に最後であろう「Snow Halation」は見たいものではなく、はっきり言うと「μ'sのセトリ変わってくれ...!」と願うしかなかった。
初日の大まかな構成は
未体験HORIZON(Aqours)→虹ヶ咲→Aqoursユニット→Saint Snow→Aqours→μ'sだった。
これは不変なものだと、1日目を見てそう思い込んでいた。
2日目も曲や衣装の変更がありながらも、Saint Snowまでは昨日と同じ構成のまま進行していった。
僕は「これでいいんだ昨日より曲が好みだし...」と自分から思いっきり期待値を下げていた。
そんな時、聞こえたのが…
始まりの朝
各ユニット登場時に幕間としてそのユニットのモチーフ曲が流れる。
Saint Snowの後に流れたのはAqoursの「Main theme of LoveLive!Sunshine!!」ではなくμ'sの「始まりの朝」だった。
つまり今からμ'sが登場して、Aqoursがトリであるということ。
会場はどよめいた。
本当に現実か?
全く脳が追い付いていない。思考回路がぐるぐる回転する。
しかし、現実かどうかを考える間もなく流れてくる映像は高坂穂乃果の映像。
現実だ。まぎれもなく現実…。
それが現実だと気づいた時、目から涙が溢れた。
嬉しくてしょうがなかった。
遂にAqoursがμ'sと並ぶんだ、と思った。
Aqoursが自分の中で特別なのは、たったの2年弱だけどちゃんと追ってきた自負があるから(もし、μ'sも同じくらいきちんと追える環境があれば、こういう肩入れはしなかったんじゃないかなと思う)。
自分が大切にしているAqoursがこんな形で「ラブライブ!」シリーズのお祭りでトリを務める存在となってくれたことがあまりに誇らしくて嬉しかった。
本当にそれだけ。
たったのそれだけのことなのだけど、
それが現実になるにはμ'sという存在はあまりに大きく、道は前途多難だった。
シリーズの続編は初代の人気が大きいほど難しい。
どうやっても初代の存在が見え隠れするし、初代と比べられる。
ましてやその相手は社会現象を起こしたμ's。
比較対象としては最悪。
実際、東京ドームで4th Liveを行った際のインタビューか何かで「初めてAqoursが認められた」と言っていたのは鮮明に覚えている。
いや、東京ドームにソロで立てるアーティストが年に何組いると思っているのだ。正直言って狂っている。
だけど、それくらいAqoursに課せられたミッションは重かった。
それでも、Aqoursそして「ラブライブ!サンシャイン!!」は"届かない星"と比較されることを恐れなかった。
むしろ真っ向から同じ土俵で戦い、立ち向かうことを選んだ。
アニメの物語然り、ライブパフォーマンス然り。
その"立ち向かう"という選択は劇薬のようなもので、賛否両論があった。拒否反応が出た人が続出した。自分も当初は全く受け入れられなかった。
自分は2期になってからようやくその楽曲や物語、そして"決して諦めない"というコンセプトが分かってAqoursを好きになった。
見える世界が変わった。
「世界を変えてくれる作品」なんて、大それたものは人生で出会えて2つや3つだろう。いや、1つも出会わないかもしれない。
でも間違いなく「ラブライブ!サンシャイン!!」は自分の世界を変えてくれたと言える。
それくらい特別だから3rd 福岡以降は真剣に追いかけた。
そんなAqoursとの出会い、彼女たちの重すぎるミッション。
そして、Aqoursが好きになった3rd Live福岡「キセキヒカル」を見た瞬間、Aqoursがくれたメッセージ、そのメッセージを受け取りAqoursから貰ったエネルギーで自分の人生を前へ進めることができたこと、そのことへの感謝といった「自分とAqoursの今までの関わり」を思い出すと涙が止まらなかった。
μ'sのパフォーマンスを見ながら、
Aqoursのパフォーマンスを見ながら、
「Aqoursと共に駆け抜けた日々」が何度も脳裏をよぎりその度に溢れる涙。
涙で喉が枯れたそのリアルな感覚は"生"を感じさせ、"I live!I live!LoveLive!Days"と叫び続け駆け抜けた日々を強く実感できた。
そんな状態だったからか、最後の「君のこころは輝いてるかい?」以外の記憶がほとんど無い。
でも、「WATER BLUE NEW WORLD」のあの青い景色、「未来の僕らは知ってるよ」で「I live!I live LoveLive Days!」が会場に鳴り響いたことだけは覚えている。
これだけでAqoursがトリにふさわしかった、って胸を張れる。
君のこころは輝いているかい?
Aqoursの最後は1日目と同様「君のこころは輝いているかい?」だった。
1日目は特に何も感じなかったが、ある歌詞に物凄く引き込まれた。
君は何度も立ち上がれるかい?
胸に聞いたら"Yes!"と笑うんだよ
何度でも立ち上がること。
立ち上がるというのは逆説的に言えば、少なくとも一度は転んでしまうんだ。
転んでもすぐ立ち上がる。
それは、アニメでもリアルでもAqoursが体現して教えてくれたことだった。
そして最後にこう歌われる。
今...
未来変わりはじめたかも!
だって僕たちはまだ夢に気づいたばかり
ああ、まだ夢に気づいたばかりなんだと。これも"始まり"なんだと。
これからの明るい未来を予感させるそんな素敵なセットリストだった。
おわりに
「ラブライブ!フェス」は過去を「再現」するための場だったのか?
1日目に自分が提起した問いかけは「ラブライブ!フェス」の終えた今なら、"全くそんなことはなかった"と言える。
ちゃんとその作りを紐解けばこうなるはずだ。
「ラブライブ!」シリーズの9周年を祝うという立てつけならば、5〜6年を担って"ラブライブを作り上げた"μ'sが1日目のメイン(トリ)で、後半の3〜4年を担い"ラブライブを繋いだ"Aqoursが2日目のメイン(トリ)であること。
とても自然じゃないか。
トリは1グループしか選べないというのも完全に自分の固定概念でしかなく「μ'sとAqours、どちらを立てるか?」という問に対する"一つしかない解"がそこにあった。
Aqoursのセトリについても、簡潔に触れたいと思う。
1日目のセトリは1期(=μ'sという「届かない星」を追いかける者の物語)、2日目のセトリは2期(=Aqoursとしての「色」を確立した物語)という整理をすれば、1日目がAqours→μ's、2日目μ's→Aqoursがより自然に映る。
そして"Aqoursイズム"として2日間歌われ、2日目のμ'sの後で歌われることで途方もない星に届いたことを示す「届かない星だとしても」、2日目の最後に歌われる「君のこころは輝いているかい?」の明るい未来への期待。
フェスという厳しい曲の制限がありながらこれだけのメッセージを詰め込んできたことはもう圧巻だとしか言いようがない。
μ'sの礎がないとAqoursは存在しえなかった。そのリスペクトも当然あるし、μ'sの偉大さがあるからこそ、それに並び立つ今のAqoursの存在が尊いのだと思う。
だけど、AqoursにはAqoursのアイデンティティがあって、それを自分は肯定しているのだと。
いや、知ってた。
そんなことはフェスに行く前から知っていた。
だって、Aqoursが大好きだから。
何にもよらずにただAqoursが大好きだから。
「始まりの朝」で自分でも驚くほど泣いてしまった時に、忘れかけていた自分のAqoursへの思い入れの強さに改めて、気づかされたのだ。
自分が堂々と胸を張って好きなものをふさわしい場所に置いてもらえた時、人はこんなにも嬉しいものなのかと思った。
でも先述の通り、これで終わりではないと思う。
だって僕たちはまだ夢に気づいたばかりで、
これからもっともっと夢の形は変わるんだ。
そんな未来に期待したい。
本当に今までで一番Aqoursを応援していて良かったって思えた。
そしてやっぱりAqoursが大好きだ。
何の曇りもなく胸を張って言える。
もちろんμ'sもSaint Snowも虹ヶ咲も好きだけど、
自分にとっての"特別"はやっぱりAqoursなんだって再確認できた「ラブライブ!フェス」だった。
ありがとう、「ラブライブ!フェス」。
そしてこれからもよろしく「ラブライブ!」。